小池真理子の新聞連載「月夜の森の梟」
2021年02月05日
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作家の藤田宜永さんが亡くなって一年になる。昨年の一月三十日の夜、テレビニュースで彼の訃報が報じられた時の衝撃は、今でも忘れられない。初めて軽井沢でお目にかかって二十年。始めは作家と編集者として、後年は一読者としてのおつきあいだったが、定年後、私が小説を書き始めたことを、応援し、励ましてくださったかけがえのない作家だった。 訃報に続いて、新聞、雑誌には、作家仲間や担当編集者達の追悼文が次々載った。探し探してほとんど目を通したと思う。いずれも私の知っている藤田さん、知らない藤田さんの人となりが語られていて、興味深かった。 でも一人残された妻の小池真理子さんは、どうしていらっしゃるのだろうか、そのことばかりが気になった。だから、昨年の二月十九日、朝日新聞に「最期まで語り続けた彼―ひとつ屋根の下、二人の作家、ただ寂しい」という文章が載った時は、むさぼるように読んだ。そこには二人の三十七年前の出会いから、ともに暮らし始めた日々、2018年春、彼の肺に腫瘍が見つかってからの二人の「逃病」記が、切々と、しかし作家の研ぎ澄まされた筆で綴られていた。結びの「それにしても、さびしい。ただ、ただ、寂しくて、言葉が見つからない」を読むにいたっては、私まで胸打たれて、涙がとまらなかった。 続いて六月六日から、朝日新聞に、小池真理子さんの「月夜の森の梟」というエッセイの連載が始まった。多くの読者から、私と同じように小池さんの思いを知りたいというリクエストがあったということで、今年六月まで続くそうだ。小池さんは「書くことで空虚な気持ちを整理し、自分を救済していくことができますが、同時に喪失の哀しみも深くなっていきます。なんとかして、独りの暮らしに慣れていくしかありません」という。 たくさんの読者から手紙がよせられ、小池さんは「すべて目を通しています。一緒に悲しみを乗りこえているような気持ちです」、「毎回、これほどまで切々とした反応をいただけるとは想像していませんでした。それぞれの文章が胸に響きます」と、エッセイの欄外に書かれている。 私の親しい女友達たちも、このところ何人も夫に先立たれた。みんな毎週土曜日のこのエッセイを待ちかねていて、身につまされる読後感のラインが飛び交う。このようにこの「月夜の森の梟」に励まされ、癒されている読者は少なくないだろうと思う。 この連載は、一月現在で三十回を超えるが、どの回にも、藤田さんとの感動的なエピソードが綴られている。作家同士のご夫婦だけあって、会話は豊かで、感性も鋭い。初回は、軽井沢の住まいでは、月明りがきれいな晩など、梟の鳴き声が聞こえるところから、話が始まる。動物好きの藤田さんは必ず夜の庭に出てみたそうだが、病気になってからはそれもできなくなってしまった。美しすぎる自然と、病の影が忍び寄ってくる怖さで身震いしてしまった。 九月の「私も猫のしっぽが欲しい」も泣かずには読めなかった。以前、大きな茶トラの雄猫が家に出入りし始めた。太くて長い、立派なしっぽを持つ猫だった。誰もいない森の中をよくそのしっぽを握りながら、一緒に散歩した。でもある年の秋、意気揚々と外に出かけて行った猫は、二度と帰ることはなかったという。「夫が死んだとき、ふと、その猫のことを思い出した。森の中、猫に付き添われ、そのしっぽを握りながら、霧にまかれた地平のかなた、死者を迎え入れてくれる神秘の場所を目指して、何やら楽し気に歩き去って行く夫の幻が目に浮かぶ」とある。私も軽井沢の森には、まだ藤田さんやその猫が、足音も立てずに歩き回っているような気がした。 年が明けてからの回では、「雪が降ると思いだす記憶は」が、強く印象に残った。「昨年の冬、恐ろしいスピードで衰弱が始まった夫の代わりに、雪かきは私の役割になった。スコップを手にふと我に返ると、雪の中にゆらゆらと佇んだまま、嗚咽を続ける自分がいた。あふれる涙が氷点下の冷たい風に吹かれていた。あの時の私は、間違いなく雪女だった」 藤田さんが亡くなる少し前のことだろう。雪の中で、夫の死を覚悟しながらも、雪女になって嘆き悲しむ妻の心情が、狂おしいばかりに描かれている。察してあまりあった。 まだまだ取り上げたい回は、たくさんあるがこの辺でとどめておこう。興味を持たれた方は、新聞連載をお読みいただきたい。 昨年の夏の終わり、藤田さんの新盆がすんだ頃、私は小池さんにお悔やみの言葉を添えて、私の書いた藤田さんへの拙い追悼文「惜別」お送りした。後日、思いがけなく鄭重なお礼のメールをいただいた。 「牧野さんのことは、近松賞ご受賞のことなどふくめて、藤田から聞いておりました。本当に長い間、彼の愛読者でいてくださって、心から御礼申し上げます。ご健筆を続けられますよう、藤田の代わりに応援しております」という、真摯で、気遣いに満ちた文面だった。年末には、年賀欠礼状までいただいて、恐縮するばかりだった。 ところで最近のこのエッセイの欄外には、小池さんの書下ろし長編小説が四月刊行予定とあった。小池さんは悲しみに沈みこむことなく、勇気を奮って新しい小説に取り組まれているのだということを知って、とてもうれしかった。私は、小池さんの直木賞受賞作「恋」以来の、彼女の大ファンでもあったから。今からその新作を心待ちにしている。 (エッセイ「惜別」も合わせてご覧ください。→こちらからどうぞ)