「俳句めがね」をかけてから
2019年11月05日
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このたび、私が入会している俳句結社「童子」の2019年年間賞のうち、「桃夭(とうよう)賞」という賞をいただいた。秋田で開催された「童子」三十二周年大会で、「童子大賞」、「童子賞」、「新童賞」などとともに、授賞式が行われた。 桃夭賞とは、いろいろな作風のある「童子俳句」のなかでも、特に自分独自の世界を大事にし、マイペースで作句している人に贈る賞であるという。私の場合は、おこがましいが、「文学性?」を評価されたようだ。「童子」に入会して十五年、初めていただいた賞である。 俳句を知ったのは、高校時代の国語の時間だった。小説、随筆、短歌などといっしょに教科書で学んだ。芭蕉や虚子、子規などの名句を鑑賞するだけで、自分で作ることなど思いもしなかった。 定年後、俳句は、今まで触れたことのない世界を経験してみたいと思ったその選択肢の一つだった。出版社時代の友人のNさんが、主宰の辻桃子先生の担当で、在社時代に「童子」に入会していて、声をかけられたのがきっかけである。 深い考えもなく入会した「童子」では、すぐ句会があり、吟行があり、初心者の私も、いやおうなく俳句を作らねばならなくなった。高校時代から同人誌に小説を書き始め、出版社時代は、四十年近く記者として記事文を書き続けてきた。だから、俳句を詠むのもそんなにたいへんな作業とは思わなかったが、それが甘かった。 季語や切れ字を入れて、十七音の中に、ひとつの文学世界を創造するということが、いかに難しいかということを、始めてみて痛感させられた。主宰をはじめ、俳友の方々の作品に触れ、学び、感心するばかり。私自身は、長いこと「俳句のようなもの」しか作れなかったと思う。 それが五、六年前から、突然、「俳句めがね」が鼻の上に乗ってきた。私はもともと近眼だから、めがねをかけているが、その上にあの「ハズキルーペ」のように、目に見えない「俳句めがね」が、かかってきたのだ。 そうしたら、それまで見えなかったものが、よく見える。道端の草や、木々の花や実、空の雲などが、自然に目に入る。声や音もよく聞こえ、鳥の囀り、蝉時雨、夜の虫の音も耳に届く。さらに、花や新緑、枯葉、土などの匂いにも気づき、四季の移ろいにも敏感になってきた。「俳句めがね」は、五感を鋭くしてくれるようだ。「俳句めがね」は、眼鏡屋でも、どこへ行っても、売ってはいない。俳句の天才は別として、凡人でもいつも俳句に触れ、俳句の勉強を長年つづけると、どこからか降ってくるものらしい。 見回したら、主宰はもちろんのこと、多くの俳友が、「俳句めがね」をかけていた。そうなると、吟行なども楽しさが増してくる。「あそこに野草が咲いている」、「むこうで鳥が鳴いている」、「どこからか甘い匂いがしてくる」などとそれぞれが気付いたものを教えあう。そうして同じところを歩いても、詠む句が違うのが、俳句の妙味だろう。 このめがねをかけてからは、私の毎日が変わり、いきいきとしてきた。だから何をしていても、どこへ行くのにも、手放せなくなった。それから私の下手な俳句も少し変わってきたと思う。今回の受賞もこのめがねのおかげだと思っている。 賞は一つのステップだが、俳句のある日々は、人生を味わい深いものにし、それを媒介に友を増やしてくれるような気もしている。 受賞十句は、こちらからどうぞ→