私の小説のまさかのマンガ化が実現!
2019年10月05日
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6月18日のことだった。「近松の里づくり事業推進会議」から、一通の封書が届いた。何だろうと開封してみると、次のような文面だった。 抜粋すると、「『さばえ近松文学賞~恋話(KOIBANA)~』につきましては、鯖江で生まれ育った文豪、近松文左衛門や、作品の応募条件のなかに鯖江に関する産業や観光スポット等を最低一つは入れることにより、鯖江の魅力を全国発信する目的で、近松生誕360年にあたる2013年に創設いたしました。諸般の事情から、昨年6回目をもちまして終了いたしましたが、これまでの素晴らしい入賞作品につきましては、単なる作品募集で留めることなく、何か『近松のまちづくり』に活用できないか検討してまいりました。 その結果、これまでの歴代『近松賞』六作品を幅広い層でも読みやすいマンガにし、若年層を味方にすることで、全国的に広くイメージアップを図るために、電子書籍として販売することに決定をいたしました」という内容であった。 私が「夢の夢こそ」で「近松賞」を受賞したのは2015年の三回目、もう四年も前のことである。定年後、書き始めた小説が、初めて日の目を見、それも最高賞をいただけたことで、それ以降の執筆に大いに励みになった受賞だった。 この文学賞の募集を私が見つけたときは、鯖江は眼鏡の街としか知らず、近松門左衛門にいたっては、人形浄瑠璃作家というくらいの知識しかなかった。鯖江は、新幹線と特急を乗り継げば、三時間十八分。私は「まず、行ってみよう!」と決心した。すでに記者ではなく、「ただのおばさん」でしかない私に、鯖江の文化課課長、浮山英穂氏が、「近松の里」を、あますところなく案内してくださった。最後にお礼を述べたら、「じゃ、次は十月の表彰式で」と、とんでもない冗談を言われた。翌日は一人で、「うるしの里」会館へ行ったり、漆器工房が並ぶ一帯を歩いてみた。 取材は充分。眼鏡を小道具に、年配の鯖江の漆器職人に恋する四十代の小料理屋のおかみの物語が固まり、小説が出来上がった。タイトルは、近松の「曽根崎心中」の有名な一節「この世のなごり。夜もなごり。死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜。ひとあしづつに消えて行く。夢の夢こそあはれなれ・・・」の中から、「夢の夢こそ」をいただいた。その後、「近松賞」受賞というお知らせがあったときには、それこそ夢のような思いだった。 表彰式のために、二度目の鯖江入り。「近松まつり」に湧く立待(たちまち)公民館で、式は始まる。作品は県内外から、458作品の応募があったという。選考委員の方々の講評のあと、特別審査員藤田宜永氏(福井出身の直木賞作家)のメッセージも届けられた。小説は頭の中だけで書くものではなく、取材と勉強が決め手だとあらためて痛感した。 それが、また電子書籍『マンガ!さばえ近松文学賞』の一作品として生まれ変わり、ことし10月5日の「近松まつり」で発表、発売になった。この小説で、私は再び、夢のような思いを味わうことができたのだ。 福井県鯖江市は、人口約六万九千。国内シェア96%という眼鏡枠、漆器、繊維の三つが地場産業として発展。さらに市民が北陸随一の文化都市を目指して力を尽くしているさまが、たった二回の旅でもひしひしと伝わって来た。そしてまた四年目にして、思いもよらぬ小説マンガ化のお知らせ。喜びとともに、鯖江という地方都市の、将来を見通す眼力の鋭さを感じさせられた。 九月末で終了したNHKの朝ドラ「なつぞら」も、主人公は女性アニメーター。今までこの世界が、朝ドラで取り上げられたことがあったろうか。最近のテレビドラマや、映画も、マンガが原作というケースが増えてきた。アニメーションやコミックは、それほど一般に認められるようになってきたのだ。日本のマンガ文化は、海外でも高い評価を受け、ブームになっているとか。先日の京都アニメーションの惨事が、海外にも大きなショックを与えたことが、その証ともいえそうだ。 私が積極的にその世界に足を踏み入れることはないだろうが、「近松賞」をきっかけに参加できたことは、記念すべきことだと思っている。 ★小説「夢の夢こそ」は、小説ページに掲載済み。 →こちらからどうぞ。 ★電子書籍の購入方法 詳しい購入方法はこちら→