「さばえ近松文学賞~恋話~」表彰式に出席して
2015年11月01日
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この文学賞の募集を見つけたのは、まだ寒い頃だったと思う。鯖江は眼鏡の街としか知らず、近松門左衛門にいたっては、人形浄瑠璃作家というくらいの知識しかなかった。でも「恋話(KOIBANA)」という赤い字が目に焼き付いた。 私は、学生時代、小説らしきものを書いてはいたが、出版社に就職し、定年まで記者として、編集者として、三十六年勤めた。その間、読者のために読者に役立つ記事を書いてきたので、定年後は自分のために自分が書きたいものを書こう、昔手を染めていた小説をやり直そうと思った。書くことは好きだったから、記事も小説も大差ないと思ったのが、大きなまちがい。それからは、一線で活躍している作家の小説を読み漁り、小説攻略本なども読破して、自分の小説を応募してみたが、ほとんど手応えなし。一次か二次落ちがいいところだった。でもいつも私のテーマは、恋。だから思い切って「恋話」に挑戦してみようと、思い立った。 まず鯖江の資料を請求したら、観光協会から分厚いガイドが届いた。そこに、近松門左衛門が幼少時を過ごしたという「近松の里」めぐりの案内もあった。早速、電話をしたら、文化課課長の浮山氏が、「いつでもおいでください。ご案内します」とのこと。新幹線と特急を乗り継げば、三時間十八分。「よし、行ってみよう!」と決心した。受賞のあては皆無だったが、鯖江には興味が持てたし、近松浄瑠璃も図書館で借り出して、多少の知識を得た。それで前もって「恋話」のあらすじを作ってみた。これに、現地取材をして、肉づけをしようと思った。知らない街を訪ね、他人に話を聞く、わくわくするような記者魂もよみがえってきた。四月の初め、ダメモト精神で私は電車に乗った。 駅を降りると、鯖江は冷たい雨の中だった。ちょっと気勢をそがれたが、駅前のビジネスホテルに荷物を預け、「まなべの館」にいるという浮山氏を訪ねた。彼はそこの館長もしているという。でも、もう記者ではなく、「ただのおばさん」でしかない私を、気軽に車で「近松の里」へ連れて行ってくれた。途中から「近松の里」ボランティアガイドの若竹氏も同乗し、「近松の里」をあますことなく案内。写真を撮りたいと言ったら、傘まで差しかけてくれた。倉庫を開けて、浄瑠璃人形も見せてくださる。最後にお礼を述べたら、浮山氏は、「じゃ、次は十月の表彰式で」と痛い冗談を言われた。 翌日はようやく晴れたので、一人バスで、「うるしの里」会館へ。自分で使う汁椀を買ったり、漆器工房が並ぶ一帯を教えてもらい、周辺を歩いてみたりもした。 取材は十分。眼鏡を小道具に、年配の鯖江の漆器職人に恋する四十代の小料理屋のおかみの物語が固まる。鯖江で取材した部分を脹らませ、キーボードをたたき、あの小説が出来上がった。タイトルは、近松の「曽根崎心中」の有名な一節「この世のなごり。夜もなごり。死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜。ひとあしづつに消えて行く。夢の夢こそあはれなれ・・・」を見つけた途端、これだ!と思い、「夢の夢こそ」に決定。小説は頭の中だけで書くものではなく、取材と勉強が決め手だとあらためて痛感した。 原稿を郵送したのは、五月中旬。自信はなかったが、八月始め、一次通過のお知らせが来たときは、佳作くらいには入るかしらと期待した。八月末、最高賞の「近松賞」受賞と聞いたときには、それこそ夢のような思いだった。 十月三日、表彰式のために、二度目の鯖江入り。前回とは打って変わって秋晴れの日だった。「近松まつり」に湧く公民館で、式は始まる。作品は県内外から、458作品の応募があったという。選考委員の方々のご挨拶と講評のあと、特別審査員藤田宜永氏(福井出身の直木賞作家)のメッセージも届けられた。そして主催の近松里づくり事業推進会議の増永初美会長から、受賞者全員に表彰状と副賞が手渡される。大きなモニターに私の原稿が映り、朗読が始まった。私は「この受賞は、現地取材したときの鯖江の方々のあたたかいご協力があったればこそ」と喜びの挨拶をする。翌日、この表彰式は共催の福井新聞に写真入りで取り上げられた。 その日は、「文楽×ロック音楽『ロック曽根崎心中』の世界」と題して、桐竹紋壽氏×宇崎竜童氏対談から、文楽座と近松座による「八百屋お七」の文楽、宇崎竜童氏の生ギターによるライブまで、盛りだくさん。夜には立待月観月の夕べも持たれ、鯖江ならではの食材による料理を堪能した。 四日は、まさかの再会を果たした浮山氏に、休日の石田縞手織りセンターを開けてもらったり、眼鏡ミュージアムや越前市の和紙の里までご案内いただき、午後は「近松座」の「冥途の飛脚」の公演を観劇したあと、帰途に着いた。 福井県鯖江市は、人口約六万七千。国内シェア96%という眼鏡枠、漆器、繊維の三つが地場産業として発達。さらに市民が北陸随一の文化都市を目指して力を尽くしているさまが、たった二回の旅でもひしひしと伝わって来た。今回で三回目になる「近松文学賞」も、その文化活動の一環だ。「近松文学賞」に応募して、魅力のある街、鯖江を知ったことは、私にとっては大きな収穫だった。今回の受賞を「初めの一歩」として、これからも小説を書き続けたいと思っている。 ※「さばえ近松文学賞」表彰式のもようや、鯖江の写真は、 次ページに掲載いたしました。どうぞごらんください。 ※「夢の夢こそ」は、このホームページの小説欄に、 掲載してあります。