繭の部屋 第一回
「繭の部屋」 第一回
1 桜の花が散って、葉桜になり、樹々がいっせいに若緑色に燃え立つ。風にも、雨にも、瑞々しい若葉の匂いが感じられる。その頃が、杳子が一番好きな季節だった。 そんな土曜日、マンションの臨時総会が開かれた。 杳子の住むマンションは、二十世帯余りの超小規模マンションだった。住民の数も少なく、広めの玄関ホールを会場に、各自椅子を持参して十五人ほどが集まった。 その日のテーマは、築十二年たったこのマンションの大規模修繕の実施要項の説明だった。マンションの管理会社の人、実際に修繕を手がける建設会社の社長、ふだんこのマンションのリフォームを手がけているインテリア会社の人と、関係者も来ていたので、ホールは狭いくらいだった。 最初、マンションの理事長の挨拶があった。「今まで十年以上積み立ててきた皆さんの修繕費を一挙に使うのだから、万全の工事をしてもらいたい」 という主旨に、住民側は深くうなずいた。 管理会社側からは大規模修繕の必然性が説かれ、いよいよ建設会社社長の説明に入った。四月後半から工事に入り、七月の上旬までかかるという工期の発表があると、その長さに住民は一挙にざわめいた。 杳子も大好きな季節が工事で埋め尽くされることがわかると、始まる前からうっとうしい気分がした。 「この頃は、雨が少なく、暑さもほどほどで、工事がはかどります」 という説明に、全員しぶしぶ賛成せずにはいられなかった。いつかはやらねばならない工事であった。 それから、質疑応答が行われた。みんな専門的知識はなかったから、質問はその三ヶ月にわたる工事期間の日常生活に集中した。 「洗濯物はベランダに干せるんですか?」 「干せる日と干せない日がありますから、逐次、玄関ホールに明示します」 「雨の日はやらないんですか?」 「屋内でできる工事はやります」 「工事の人はどこで食事するんですか?」 杳子は、玄関周りや階段で、弁当を広げられると気になるなと思い、尋ねた。 「弁当は自分たちの車の中で食べます。おかげさまで、このマンションの駐車場をお借りできるということで、車はそこに停めます」 次に隣室の人が、手を上げた。 「工事の人の中に、外国人はいますか?」 これは、的を射た質問だった。この頃工事人のなかに、外国人がよく混じっているのを見かける。この質問には、住民もどよめいた。 「私は聞いていません。もしいたとしても、身元がはっきりしている方しか私どもでは雇いませんから」 社長は、ちょっと慌ててそう答えた。 小規模マンションなだけに、住民はほとんど顔見知りで、でも都会のマンションの常で、他人の私生活には立ち入らず、ほどほどの距離で付き合っていた。それだけに、工事の人が身近にうろうろされると、なんといっても不安がつきまとう。それに外国人が来るかもしれないと思うと、いっそう気がかりだった。 総会が散会になると、みんな不安を隠しきれない面持ちで、それぞれの部屋にもどっていった。杳子もひとり住まいの部屋にもどると、こうして何の気兼ねもなく、自分の部屋にいられるのも後わずかだと思い、重い気分になった。 杳子にとって、マンションは単なるコンクリートの箱ではなかった。単に生活する場所でもなかった。ひとり暮らしの杳子が、その日の、喜び、悲しみ、怒りなどの思いを、ひとり吐露する場所であった。それをあたたかく受け止めてくれる場所でもあった。蚕が糸を紡いで繭を形成するように、夜ひとりになると、杳子はそこに彼女のすべての思いを吐き出し、部屋のすみずみまで、埋め尽くす。長く住めば住むほど、繭の密度は濃くなっていった。 定年になっても、昼間は、何かと忙しい。趣味の歌会に行ったり、スケッチ教室に通ったり、フィットネスクラブにも参加している。もちろん、買い物にも行くし、家事もする。 料理は、むしろ定年になってからのほうが、時間もあるし、力を入れている。朝はパン、昼間はパスタなどで、簡単に済ませるが、夕食は和食を中心に何品か並べる。包丁研ぎにはじまって、焼き魚、炊き合せ、おひたし、和え物などをそろえ、野菜たっぷりの味噌汁、ご飯、フルーツなども欠かさない。 夕食がすんで、キッチンを片付けると、誰にも邪魔されない杳子の繭の時間がはじまる。 その日の気分に合わせてショパンやモーツアルトのCDを選び、アロマを焚く。レモンだったり、スイートオレンジだったり、グレープフルーツだったり。柑橘系の香りが気に入っている。アロマポットは、電球を使うものにした。部屋の照明を落すと、白い陶器の容器から灯りが透けて、なかなか雰囲気がいい。 その中で、杳子は、深夜まで読書をする。フランスの作家、カトリーヌ・アルレーなどの、古いミステリーが好きだ。時間を忘れる。繭の中は、たとえようもなく、気持ちがよかった。 読書に飽きた夜は、働き盛りに、撮り貯めた当時のトレンディドラマや映画などの、ビデオテープ見直す。現役時代は、残業のあと、家へ帰って、ビデオを楽しむのを習慣にしていた。テープは大きな紙袋に、二つも貯まっていた。 恋をしていたその頃、深夜、「金妻」や「ニューヨーク恋物語」、「ロングバケーション」などを、胸をときめかせて見たものだ。いしだあゆみも、田村正和も、木村拓哉もとても若い。毎夜、時間をかけて見直してみると、当時の思いがどっと押し寄せてきて、涙がでた。あの頃の若さも、恋も、もう決してもどってはこない。 輝いていた主役クラスの俳優たちも、今や中高年になってしまった。たまにテレビでみかけると、いい年のとり方をしている人もいるけれど、厚化粧をしたり、派手な衣装で着飾って、痛々しさのほうが先にたつ人も多い。それだけ、自分も年をとったということだろう。またいつ見る機会があるかわからないが、これはと思うテープは、DPE屋に頼んで、DVDに焼いてもらった。小さなファイル二冊に、思い出とともに、きちんと収めた。繭の中の、たいせつな宝物だ。 杳子は、現在の中央線沿線のこのマンションに住まうまでに、五回引越しをしていた。 三軒茶屋の実家を出たときは、まだ二十四歳で、給料も安かったので、小田急沿線の経堂駅から徒歩十分ほどの木賃アパートに決めた。北向きの一Kで、浴室もない貧しいアパートだったが、一人暮らしの出発には、精一杯だった。 一年半ほどそこに暮らしたが、住宅公団に申し込んだら、運よく当選。都営地下鉄三田線の高島平駅の近くの賃貸団地だった。一DKだったが、浴室とベランダもついていて、十階で日当たりもよかった。神保町の会社へは地下鉄一本で、通勤できた。 そのうち同僚もぼちぼちマイマンションを持つようになってきた。三十代の杳子は、結婚か、マンションか、迷う時期でもあったが、結婚したいと思っていた人は、すでに家庭を持っていた。迷いは消えた。 運よく、代々木に適当な中古マンションが見つかった。土地のイメージもよかった。下見に行くと、北西向きだったが、窓からは新宿の高層マンション群が見え、近所もマンションが多く、まるでパリの裏町にでも住んでいるような気分で暮らせそうだった。杳子はわずかの貯金を頭金に、ローンを組んで、初めてマイマンションを手に入れた。 そこで暮らす身となったが、北西向きの部屋は冬は寒い。外は日が照っていても、家の中は冷たく、暖房をつけても、表に出た方があたたかく感じられるくらいだった。そのマンションの、東南向きの部屋を見上げながら、いつかはあの部屋に移りたいという願いが高まっていった。 東南の部屋はなかなか空かなかったが、突然六階に売り物件がでたという。当時は築十二年たっていたが、仕事のインテリア雑誌の編集で覚えたリフォームで、何とかなると思って、その東南向き三DKの部屋を手に入れた。予想通り、家中太陽の匂いに満ちていて、住み心地は満点だった。 杳子は四十代にはいっていた。 また住宅ローンに追われたが、住む部屋が快適なのは何ものにも変えがたかった。二LDKにリフォームした部屋は、広々としていたし、窓からは神宮の森と代々木公園の森が望めた。その部屋には、恋人の潤平も度々訪れるようになった。 潤平は、仕事がらみで知り合ったイラストレーターだった。色白で、どこか淋しげな美しさを湛えた男だった。潤平に妻子がいることは、はじめから知っていた。でも、もう永いこと、別居していると聞く。杳子は、お互いもう若くはないし、潤平が今、時々、自分のそばにいてくれるなら、それで十分だと思った。 仕事も、恋も順調。そのマンションで暮らすようになって、杳子ははじめて幸せだと思った。他にほしいものはなかった。 五年ほどたった頃だったろうか。潤平からの連絡が、ふと途絶えた。不審に思っていると、夜遅く電話があった。病院からかけているという。「肺がんが見つかって、末期といわれた。もう電話もかけられなくなると思う」 信じられなかった。「楽しかった。悔いはないよ。ありがとう」と潤平は弱々しく言うと、ぷつりと電話を切った。杳子は、涙がみるみるあふれた。呆けたように、会社に行っていたが、翌月、編集長から、潤平の訃報を聞いた。葬式には行けなかった。 それから、すべてを忘れて、編集の仕事に没頭してきた。杳子も五十代に入っていた。マンションも老朽化し、水道からは赤水も出るようになったし、水漏れも何戸かに現れた。大規模な地震が来れば、耐え切れないだろうという調査結果もでた。 理事会では、水道管のコーティング工事をしたり、雨漏りの補修はしたが、杳子は先々の不安を感じた。
(次号に続く)