いいね! 第三回
「いいね!」 第三回
4 堀内の交通事故は、両足の骨折と、全身打撲と重傷だったが、脳や臓器にダメージはなく、九死に一生を得た。全治六カ月ということで、三カ月は病院のベッドから離れられない。あと三カ月は、家から病院へリハビリに通うそうだ。 入院してから妻は、すべてのボランティアなどを中止し、毎日欠かさず、病院へ看病に通ってくれている。「あなたがもとどおりになるまで、私がどんな手助けでもするわ」と、かいがいしく世話してくれる。 入院当初は、痛みが激しく、六時間ごとの痛み止めの薬が、待ちきれないほどの日々が続いた。体の自由がきかない、ベッドから離れられないことにも、いらいらする。病院食にも飽きてくる。そんなことを子供のように妻に訴えると、毎日のように、好物のおかずを手作りして、届けてくれる。体の痛いところを、ずっとさすり続けてくれる。 そんな妻の親身の看病が、堀内の病院生活の支えだった。いつも妻の来る時間が待たれる。顔を見て、たわいのない話をしているだけでも、気が紛れる。堀内は一瞬でも妻を疑ったことを、悔いるばかりだった。 病室は四人部屋だったが、老人が二人、若者が一人、骨折した人ばかりだ。老人たちには見舞客もなく、堀内の妻をうらやましがる。若者も「いい奥さんですね。僕も結婚するんだったら、あんな人がいいな」と、絶賛する。まんざらでもなかった。 といっても、現役の頃だったら、会社や関係者の面々が、次々見舞いに訪れたろう。花束もあふれただろう。でも現金なもので、退職後の交通事故ともなると、家族以外は、たまに元同僚が来てくれるくらいで、寂しいものだった。ただ布施だけは、自分がSNSを勧めたことに責任を感じているせいか、頻繁に見舞ってくれた。 「それほどのめり込むとは思わなかったよ。悪いことをした」と、平謝りする。 「そんなことはないよ。退職後は、暇を持て余していたから楽しかったよ」 「毎日のように、写真やコメントを投稿していたものな」 「そんな直後、こんなことになってしまった。女房にも、あなたはほどほどということを知らないって、泣かれたよ」と、苦笑する。 「それで、これからどうする? きっぱりやめるか」 「いや、こうしてベッドに縛り付けられていると、かえって懐かしい。パソコンを持ち込んだりしたら、また女房が目を三角にするから、やめているけれど」 「そうか、続ける気があるんだったら、スマホで再開したらどうだ。俺が教えるよ」 「それもそうだな」 堀内はその気になってきた。布施は、その場でスマホをSNSの操作ができるように設定し、使い方の手ほどきをしてくれた。 隣のベッドの若者もその話を聞いていて「堀内さん、スマホを電話代わりに使うだけなんて、もったいないですよ。音楽を聴いたり、雑誌や映画も見られる。寝た切りの僕には、いい暇つぶしですよ」と後押しする。そうしていろいろやりとりしているところへ、妻がやってきた。 「布施さん、いつもお見舞いありがとうございます。お二人で、何をしていらっしゃるんですか?」妻はにこりともせず、硬い声で問い詰める。 「いや、俺が退屈しているから、話し相手になってくれているんだよ」 「またSNSでも始めるつもりですか。こんな目に遭ったのに、あなたはまだ懲りないんですか。布施さんも布施さんです」と、怒りをあらわにした。図星をつかれたので、二人は言い訳もできない。 「そうですか。SNSをしていれば、もう私はここへ来なくていいんですね」 妻はそう切り口上を言うと、踵を返して病室を出て行った。布施が妻を追いかけ、廊下で説得しているらしいが、妻はまったく聞く耳を持たないようだ。そのうち「私がこんなに心配しているのに、あなた方は」という声が聞こえて、さっさと帰ってしまった。 「奥さんを刺激してしまったようだ。悪かった」と言いながら、布施は病室へ戻ってきた。 「いや、女房は俺の事故でナーバスになっているだけだ。そのうち機嫌を直してまた来るよ」と、堀内も謝る。 だが、妻はよほど気分を害したのだろう。二、三日待っても現れない。それには、歩けない堀内はほとほと困り果てた。 数日後、やっと妻は病室に顔を出した。ベッドから動けない自分を、懲らしめるつもりだったのだろうと、堀内は「お前にこんなに苦労をかけているのに、ほんとうにすまなかった」と、再び謝った。 妻はいきなりバッグから、真新しいスマホを取り出すと、「私も、これでSNSを始めたのよ」と、ニヤリとする。夫がそれほどのめり込んだものとは、どんなものなのか。自分も知っておきたいと、布施を呼び出して、一から教えてもらったのだそうだ。機械音痴の妻に理解させるには、布施もずいぶん手間取っただろう。 「まだまだだけれど、いちおう、息子や、娘たちと、やり取りすることはできるようになった。『友達』もできたわ」と、妻は誇らしげだ。見れば短時間のうちに、孫や自分の料理、庭の花の写真などを投稿している。それに、「いいね!」も押されている。 「あなたにも『友達リクエスト』を出したから、承認してね」とケロリと言う。「たいした女房だ」と、堀内は内心、舌を巻いた。妻は一見おとなしいが、芯は勝ち気だ。でもこれから老後を共にするには、頼もしいパートナーだとも思った。 やっと妻の許可が出て、堀内はベッドで、SNSを再開した。午後五時半に夕食が出て、食べ終わると九時の消灯までは、医師も看護師も顔を出さない。夕食後、隣のベッドの若者と競うように、スマホタイムに入る。 SNSを再開し、初めて投稿欄を見た時、堀内は感動した。事故の前は、毎日のように何かアップしていた堀内の投稿がぷつんと途切れたので、「友達」たちは、不審に思ったらしい。「どうしたんですか?」、「病気ですか?」、「もうやめたんですか?」などというメッセージが、次々入っていた。 「みんな心配してくれているんだ。俺は忘れられてはいないんだ」と、力が湧いてくる。 堀内は、体調のいい時、文字だけの長めの事故報告を投稿した。見舞いのコメントと、「いいね!」が山のように届く。堀内は、暇に飽かして、短くても全員にコメントを返した。写真は病院食くらいしかアップできなかったが、堀内のSNSライフは、順調に再開した。いちおう妻とも「友達」になったが、「いいね!」はしても、コメントは気恥ずかしくて書けなかった。 堀内は、自分が投稿する材料がほとんどないから、「友達」の投稿はもちろん、広告欄などにもていねいに目を通すようになった。そんな時、「おすすめのグループ」欄に載っていた「武蔵野を楽しむ人の倶楽部」というグループの存在が目についた。三鷹を中心に、近隣の情報を発信していて、堀内がたまに立ち寄ったことがある駅周辺の商店などの情報が豊富だ。店情報ばかりでなく、グループで散歩会や、勉強会を催したり、「銀座百点」に似た「武蔵野百店」という小冊子まで出したりしているようだ。 堀内は、退院後の自分の暮らしを考えてみた。今までは、SNSをやっていても、元の会社ばかりが気になっていた。でも足が不自由になってしまった今、遠くには行けない。もっと地元に目を向けなければいけないと思い直した。 事故の前は、SNSにのめり込んでいたが、九死に一生を得てみると、そればかりではない人生を、もう一度、試したくもなってきた。自分は広告取りしか能のない人間だから、再びそれができれば、これからの生きがいになる。だが意地でも元の会社つながりには頼りたくなかった。 退院して、リハビリを終え、杖を突きながらも堀内が一番に訪ねたところは、「武蔵野百店」の編集部だった。退院前に、すでにこの冊子は手に入れ、熟読していた。ここに「武蔵野を楽しむ人の倶楽部」の事務局もあるようだ。 編集部と言っても、三鷹駅近くの古い賃貸マンションの一室だ。玄関扉に、「武蔵野百店編集部」と、「武蔵野を楽しむ人の倶楽部」という、手書きの二枚の貼り紙がある。 ドアの横のインターフォンを押すと、すぐ、一人の老人がドアを開けた。 「先ほど、お電話した堀内ですが」と名乗ると、「狭いところですが、中へどうぞ」と、愛想よく招き入れてくれた。 八畳ほどのワンルームマンションだが、老人が三人いて、デスク、パソコン、電話、ファクス、コピー機などが所狭しと配置されていた。一人が、お茶を淹れてくれる。堀内は、勧められた事務椅子に腰を下ろし、そのお茶を一口飲んだ。うまい、びっくりした。ただの煎茶だろうが、味といい、香りといい、温度といい、実にていねいに上手に淹れられている。 「美味しいお茶ですな」 「老い先短いのだから、お茶ぐらいうまいのを飲まないと」 老人たちが一様にうなずく。 「ここで皆さんが『武蔵野百店』を編集されているんですか」と、堀内は本題に入った。 冊子の内容に比して、みんな七十歳は超えているだろう。 「私たちはみんな東日新聞社のOBなんですよ。記者をやっていました」 堀内の疑問を察したらしく、一人が説明した。東日新聞といえば、新聞のなかでも一番手の全国紙だ。そこのOBなら、そうそうたるメンバーぞろいなのだろう。 「私たち、定年退職をしましてね。近所の仲間で集まって、暇つぶしにミニコミ誌でもやってみようかと思い立って、もう五年です」 そう言われれば、一般の老人とは、顔つきも姿勢も服装も違う。堀内は、病み上がりとはいえ、ジャージに、デニム、ジャンパーをはおっただけの自分の姿が、恥ずかしくなってきた。 「電話でも申し上げましたが、私に手伝えるような仕事はありますか?」 「今まで、どんなお仕事を?」 堀内は、用意してきた履歴書を広げながら、説明する。 「電報社という広告会社の広告営業を、四十年近くやっていました」 東日新聞ほど大手ではないが、広告業界では名が通っている。 「これは、これは」老人たちは、堀内を見直したようだ。 「本作りはできませんが、広告取りならまかせてください。私だったら、今の倍は広告が取れる」 「それは頼もしい。私たちは、記者としてはプロだが、広告取りは素人です。それぞれが知り合いの店に頼み込んだりする程度で、力は入れていなかった」 一人の老人が、堀内の足と杖を見た。脳梗塞などの病気の後遺症と思ったのだろう。 「その足で、セールスに回れますか?」 堀内は交通事故の顚末を、打ち明けた。 「それはとんだ災難でしたね。元気になられてよかった。これからも無理なさらないように」 老人たちのまなざしがやさしくなった。 「みんな手弁当でやっています。それでもよろしかったら、手伝ってください」 「もちろんです。どうぞよろしくお願いします」と頭を下げる。ようやく会社の世話にはならずに、また広告の仕事に戻れる。それだけで、堀内は心が浮き立った。この老人たちのように、自分もここでもうひと踏ん張りしてみよう。 すぐ翌日から、堀内は自前の名刺を胸ポケットに、三鷹中心に広告セールスに回り始めた。以前のクライアントは企業の広告担当者だったが、今度は小さな商店ばかりだ。小さいとはいえ、相手は店主、社長、簡単にうんとは言わない。 しかし電報社時代だって、順調だったわけではない。クライアントに相手にされなかったり、他社に出し抜かれたり、何度も痛い目に遭ってきたのだ。ここですごすごと引き下がっているわけにはいかない。堀内は、逆にファイトが湧いてきた。そして足繁く通った結果、まず一軒、去年開店した自然食レストランの話が決まった。広告が取れても、今までとは広告料の桁が、二つも三つも違う。だが初めて話がまとまった時は、以前に勝るとも劣らぬ手応えを感じた。 朝九時には、今までのように妻が玄関に、堀内の靴をそろえて送り出してくれる。靴といっても、今や革靴ではなく、歩きやすいスニーカーだ。杖も当然のように手渡される。そして、妻手作りの弁当をバッグに入れる。服装は、今さらネクタイでもないから、現役の頃のスーツに丸首セーターを合わせた。 取材や広告セールスに回るのにはまだ早い時間だが、老人たちは目覚めが早いせいか、朝から事務所にやってくる。堀内もまずそこに顔を出して、お茶を飲みながら、老人たちと世間話をするのも楽しみになってきた。最近は、なかでは若い堀内がお茶を淹れる。 堀内が入院しているうちに、夏はとうに過ぎ去り、街路樹は赤に黄色に、色づき始めている。初夏には白い花をつけていた花水木や山法師などが、もう小さな赤い実をつけている。金木犀がどこからか甘やかに匂ってくる。堀内は舗道をセールスに歩きながら、死ななくてよかったと、心から思った。 仕事中は、花や樹は見るだけにして、写真を撮るのは休みの日に回す。花の盛りを見過ごすのは惜しいが、今の堀内は仕事優先だ。 その代わり、休日は朝早くからカメラを持って、写真を撮りまくる。スマホの写真もきれいだが、新しく買い替えた一眼レフのガシャという重いシャッター音は、何ものにも代えがたかった。 家へ帰って写真を整理し、コメントをつけてSNSに投稿する。「友達」の投稿にも時間をかけて目を通す。まさに「いいね!」と言える新しい毎日が始まったのだ。 ある朝、玄関口で妻が弁当を手渡しながら、「あなた、いつ海外旅行に連れて行ってくださるの? 船旅だったら、そんなに歩かなくてもすむわ。私も孫ばかりでなく、船旅の写真を投稿したい」と言う。 「近いうちにな」堀内は、やっとその約束を思い出して片手を上げた。 (了)