「この人·この道」第一回 ますぶち椿子さん
古民家空間「つくば椿庵」で五節句を祝う
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●3月には雛祭りを祝う もうすぐ雛祭り。ますぶち椿子さんは忙しくなる。つくばの古民家で、雛支度を始めるのだ。自分と娘のお雛様に加えて、近所から譲り受けたものや、友人宅の蔵からでたもの、加えてふと目に入った骨董品店やオークション、メルカリなどで集めたものも飾る。 二年前、古民家に「つくば椿庵」という名を付け、「古民家ギャラリー」として公開したら、ご近所の方をはじめ、道行く登山家やトレッカーまで立ち寄ってくれた。海外の方が、「日本の文化」として喜んでくれたことに、新しい可能性を感じ、「五節句を祝う」をテーマに、お節句のたびに節句にちなんだ設えをし、公開することにしたのだ。 三年目となる今年の雛祭りは、例年通り二月下旬から三月の初旬の予定。この頃は、「筑波山梅まつり」の時期とも重なる。斜面にある梅林は、平地の梅林とは違い、非常に見応えがあるという。 昨年は「童子」の春合宿でもここへ立ち寄った。秋には初めて「筑波山麓秋祭り」に参加したり、七五三の着付けや撮影に部屋を貸したり。また今年の二月からは、毎月ここで、地域の方と句会や茶道のお稽古も始める予定だ。 (2026年の桃の節句は、3月8日(日)まで。なお、旧暦の桃の節句として4月4日(土)から12日(日)も楽しめる) ●つくばで古民家を手に入れる 椿子さん夫妻には、藤沢の自宅はそのままに、「古民家で過ごしたい」という夢があった。その昔、筑波山の中腹に椿子さんの実家があった。今は無き、明治時代に建てられた藁ぶき屋根の家。幼少のころは毎年そこで夏を過ごした。 だから定年後すぐ、夫の趣味のDIYで再生できる程度の小さな古民家をつくばで探した。しかしまったく売買のない地域だった。二年ほどしてやっと一軒売りにでたのが、古くから代々続いた旧杉田邸。明治二年築のその古民家は、あまりに広く大きすぎた。ただ「つくば道」に面した冠木門と、その裏通り沿いの急坂に続く白塀に魅せられて、困難を覚悟のうえで購入、再生に取り組むことにした。 三年前の晩秋に引き渡されたその古民家は、荒れ果てていて、覚悟はしていたもののさすがに途方に暮れた。しかしやればどうにかなるもので、一年もしたら、他人を招けるほどに再生できたそうだ。 ●創刊当時から俳句結社「童子」に入会 ところで椿子さんは、「童子」創刊と同時に入会した「童子」の大先輩だ。編集プロダクション時代、桃子主宰と出会い、世田谷襤褸市吟行のあとの袋回しに参加し、主宰にふわっと誘われたのが、俳句を始めるきっかけとなった。俳号の「椿子」は、桃子さん、桜子さんにあやかり「花」にしようと、大好きな椿にちなんで「椿子」にした。主宰から、高濱虚子の『椿子物語』のことなども伺い、ますます「椿子」という俳号が気に入ったという。 入会当時は教員の仕事や子育てで忙しかったが、「童子·かわら版」を担当したり、「神奈川句会」も担当、「桃子歳時記」の編集のスタートにも携わった。 歳時記編集では、藤沢の椿子さん宅に主宰をはじめ、担当者が集い、細い短冊に書かれた俳句から季語を抜き出し、部屋中に広げて季語別に編集した。当時はパソコンなどなかったから、今考えると途方もない労力を使った手作業だったが、皆であれこれ言いながら進める作業はとても楽しい時間だった。その時、椿子さん宅で主宰が詠んだ句に、〈雛壇の下に健太のおまるかな〉があった。その健太くんもすでに三十歳前半。第一子は当時の彼の齢を越えている。 ●地元では、カウンセラーとしても活動 椿子さんは、子育て後、仕事としては教職に復帰したが、高校の管理職時代、心身ともに全く余裕がなく、俳句からも遠ざかっていた。しかしその間も、必ずや復帰することを心に決め、「童子」会員であり続けた。定年退職後、どうにか復帰できたことを大切に、俳句を続けていきたいという。 また退職後、地元(神奈川県藤沢市)では、「中高生とのお母さん専門のカウンセラー」としての活動をスタート。カウンセリング、セミナー、お母さんの語り場「思春期子育てカフェ」を柱に、地元のみではなく、オンラインで県外にも活動の場を広げている。 筑波での古民家再生と、地元でのカウンセラーとしての活動の両立は、そのバランスが難しいがライフワークとして続けていきたいと語っている。
●椿子さんの句から 麓までちと御使ひに花杏 鶯や代々守る井を汲みて 水盤に殊に大きな赤椿 (「童子」2025年2月号より転載)![]()
