海老マカロニグラタン
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杏の白い花が咲くころになると、私は毎年、御茶ノ水の「山の上ホテル」のレストランに、「海老マカロニグラタン」を食べに行く。いつもアツアツで、ちょっと焦げ目がついているそれを、フォークで少しずついただく。そのグラタンは、食通で知られた池波正太郎が絶賛していただけあって、一度食べたら忘れられない味だ。 私はホテルの近くの出版社に勤めていたから、時々食べに行っていたが、Mさんは「近所に住んでいるのに、一度も食べたことがないわ」という。当時、私たちは同じ病院に入院していた。「ふたりとも退院したら、いっしょにグラタンを食べに行きましょうね」と、私はMさんと約束した。 十年以上も前、私は人間ドックで後腹膜腺がんが見つかって、初めての入院、初めての手術をした。開腹手術の一カ月後、抗がん剤治療が始まった。早くても六カ月かかるという。抗がん剤については「苦しい、つらい」という話ばかりを耳にしていたので、不安いっぱいで処置室前の列に並んだ。 そのとき「あなたは今日からなの?」と、見知らぬ女性から声をかけられた。「私は三カ月目。だいじょうぶ、心配ないわ。がんを治すためにするんですもの」という。色白のやさしそうな、私と同じ五十代くらいの人だった。その人の治療はあと三カ月かかるという。私はその言葉でいっきょに緊張がほぐれた。その人がMさんだった。すぐ友達になった。 私の病室は個室だったが、Mさんはその隣室。病院の近くの歯科医院の妻で、高校生の息子がいた。医院の仕事も手伝っていた。長引く出血が気になって受診したら、卵巣がんを宣告されたそうだ。 入院中でも、Mさんはパジャマを着ない。抗がん剤の副作用で髪が抜けた頭にはバンダナを巻き、若々しいスエット姿で通している。朝はテレビ体操をし、三階の病室から地下の売店まで、エレベーターを使わず階段で上り下りしていた。「体がなまっちゃったら、退院してから困るでしょ」と、治療中にもかかわらず前向きだった。私も一日も早く仕事に復帰したかったので、早速それにならって退院トレーニングを始めた。 当時の抗がん剤治療は、今のように通院して受けるのではなく、ずっと入院していなくてはならなかった。抗がん剤によって白血球が急激に下がり、ほかの病気に感染する危険が大だったから。 私の抗がん剤治療は、一週間に二日点滴を受けるコースで、一時退院は認められなかった。Mさんは一週間毎日点滴を受け、その代り三週間は休みというコースだった。自宅が徒歩圏なので、休みの週は自宅へ戻ることができた。「こういう日がないととてももたないわ。主人も息子も、コンビニ弁当は飽き飽きしたっていうから、私の手料理を食べさせてくるの」と、うれしそうに一時退院して行く。 病院に戻る日、Mさんは私の口に合いそうなものをみやげに持ってきてくれた。特に密閉容器に、むいたグレープフルーツを半分以上入れ、卵焼きや、昆布巻き、漬物、笹巻寿司などの詰められた弁当は、患者でなくてはわからない特別の取り合わせだった。私は吐き気はそれほどでもなかったが、病院食には箸が進まず、みるみるやせた。でもその弁当は、いくらでも食べられた。だから私は、Mさんの弁当のお返しに、退院したら「山の上ホテル」で「海老マカロニグラタン」をごちそうすると、決めたのだ。 春には、病院の玄関の外の杏の花がいっせいに花開いた。桜の花見には行けなかったが、私たちは病室から杏の花を眺めながら、退院の日を指折り数えたものだ。 新緑の頃、Mさんは六カ月の抗がん剤治療がすんで、予定通り退院していった。退院後の通院日には、私の好きなサンドイッチや果物を持って見舞いに来てくれた。髪も伸びて、花柄のワンピースなどを着てくる。いかにも素敵な奥さまといった感じに変わっていた。あのスエット姿はもう遠くなった。 Mさんが退院して寂しくなったが、私も三カ月後、無事治療が終了し、退院が叶った。仕事にも復帰できた。私は早速、グラタンの約束を果たそうと、Mさんに電話を入れた。 「私、がんが腸に転移したらしいの。来週から精密検査なの」と、珍しく暗い声をしている。退院から半年もたっていない。他人事とは思えず、私もゾクっとした。「転移なら、一日も早く手術して、元気にならないと。グラタンの約束はそれからね」と、やっと気を取り直して答えてくれた。 再入院したMさんは、腹腔内にがんが次々に転移し、闘病のかいなく、とうとう一年後に亡くなった。通夜に行ったが、私は涙で遺影もまともに見られなかった。 五年がたち、私は医師から「完治です」といわれた。同時期入院していた人たちは、Mさんはじめ、亡くなった人も少なくない。私は手放しで喜ぶことができなかった。 今年も、私はその病院に、年に一度のがん検診に行った。病院の自動ドアがゆっくり開いて、院内に入ると、どこからかMさんの「だいじょうぶ、だいじょうぶ」というやさしい声が、聞こえてくるような気がした。あの弁当の甘酸っぱい味も舌によみがえった。 私は、つらくて永い闘病生活を乗り切れたのは、Mさんがそばで支えてくれたおかげだと、今でも感謝している。だから毎年杏の花の咲くころになると、Mさんを偲んで、必ずそのレストランで「海老マカロニグラタン」を食べることにしているのだ。 杏咲く小昏き部屋の窓からも やすこ