「わたしの一冊」 久坂部羊著「悪医」(朝日新聞出版刊)
世田谷文学館友の会会報四十七号掲載
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「残念ですが、これ以上、治療の余地はありません」と、万策尽きた医師は告げる。「私に死ねと言うんですか」と、がんが再発した患者(五十二歳)は錯乱して言う。 どんな状況でも、治療は生きる希望。患者は、突き付けられた自分の死を受け入れられず、腫瘍内科で抗がん剤投与を受けたり、高額な免疫細胞療法を試すなど、さまざまな治療法を探して奔走する。その結果、自分の病状を再認識することになり、最後はホスピスに入所し、自らの死を受け入れ、静かに旅立つ。 死への不安に耐えられない患者と、患者からの不信に擦り減っていく医師。それぞれの苦悶が、テクニックを労さず、ありのままにていねいに描かれている。 私も十二年前、人間ドッグで腹部のがんが見つかり、専門病院で手術、化学療法を受けた。だからこの作品は、他人事とは思えない。当時は自分ががん患者になったことに動転し、医師側の気持など思いも及ばなかった。幸い今のところ、再発も転移もない。 これは、第三回日本医療小説大賞を受賞した作品で、作者が自らの外科医時代の体験を下敷きに、がん治療をめぐる医師と患者の溝を見つめる。患者が書いたがん闘病記は数々あるが、医師が書いた作品は珍しい。作者は、現役医師ならではのリアリティーで、現実の医療現場を描ききっている。それだけに説得力があり、大きな感銘を受けた。多くのがん患者と家族、医師にも読んで欲しい作品だ。