いよいよ「山の上ホテル」全館休業!
2024年02月05日 [ No.132 ]
◎ 今年、2月13日に、「山の上ホテル」が全館休業というニュースが流れたのは、昨年の秋の始めだった。最近、休館、閉館のニュースは珍しくなくなってきたが、あの「山の上ホテル」の休業には衝撃を受けた。 公式ウェブサイトでは、「竣工から86年を迎える建物の老朽化への対応を検討するため」とし、休館の期間については「当面の間」としている。「ホテルを存続させるには、建物の抜本的な工事が必要だと判断した。建て替えも選択肢に含めて対応を検討する」そうだ。 建物は1937年竣工で、1954年にホテルとして開業した。アメリカ出身の著名な建築家、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計で建てられた日本では有数のアールデコ様式の建物だ。 私が勤めていた駿河台の主婦の友社の社屋も、1924年にヴォーリズの設計により建てられた瀟洒な五階建ての建物だったが、2001年に、日本大学に売却されている。 「山の上ホテル」は、出版社が多い神田・神保町が近いこともあり、創業当初より、三島由紀夫や川端康成、池波正太郎といったさまざまな作家が「カンヅメ」で執筆活動を行うために宿泊した。 ホテルの休館については、ゆかりのある著名人からも惜しむ声が聞かれた。山の上ホテルが定宿で、東京に来た際、執筆する場所だという作家の故・伊集院静さんは、「たくさんの作品を創り上げることができたのはこの山の上ホテルがあったからだと思います。ありがとう」と話していたという。 私が、主婦の友社に入社したのは1968年。それ以来、公私ともに利用したホテルだった。36年間の記者、編集者生活とは、切っても切れないホテルと言える。 新人の頃は高級なイメージで近づきがたかったが、そのうちお茶や食事で時々利用するようになった。学生時代の友達と会うときには、自分のホテルのように自慢げに、ここを指定したりした。 残業で遅くなって先輩と共に泊まったこともある。我が家のリフォームの時は宿泊して、ここから通勤したこともある。ダイニングルームで、おしゃれな朝食をとって、徒歩5分の社へ向かった。 このホテルで結婚式を挙げた社員もいたし、友人の出版祝いの会を開いたこともある。私の定年送別会も、ここで開いてもらった。花束をかかえ、皆に見送られて、ここからタクシーで帰宅した。三十六年勤めた最後の日には、ふさわしいと思った。 定年になってからも、ゆっくりお茶したいとき、美味しい食事をしたいとき、一人でも、友人とでもここへ足を延ばして、ちょっと贅沢なひとときを過ごしたものだ。 だから、休業のニュースが流れるや否や、当時の仕事仲間に声をかけ、すぐ、フレンチレストラン「ラヴィ」を予約した。空いている日は、もう少なかった。でもこのホテルとのお別れは、やっぱり仕事仲間とここで語り合いたかった。十年振り、二十年ぶりの仲間もいたが、すぐ当時に戻って話は尽きなかった。料理もとてもおいしかった。それから先の予約は、もう一杯とのことである。 また時を同じくして、神田錦町の学士会館も再開発に着手するそうだ。学士会館は築百年近くが経過しており、国の有形文化財にも登録されている。旧館と新館で構成しており、旧館の設計は高橋貞太郎、監修は佐野利器。新館の設計は藤村朗が担当した。 ここも耐震性と老朽化が課題となり、学士会は住友商事と共同で、学士会館の再開発事業に着手し、2025年1月から一時休館になる予定。同年4月に新館解体着手、新たな大型の共同ビルを建設する。2026年4月には、文化財的評価の高い旧館は、曳家でセットバックして保存し、耐震補強して、2029年夏の竣工を目指すという。 主婦の友社のOB会は、社の食堂などで開催していたが、社屋の売却、移転などのあとは、昔の社屋にイメージの似た学士会館を利用するようになっていた。コロナ禍でそのOB会も中止になり、今後の開催は未定だ。せっかく定着した学士会館も再開発ということになると、会場の見通しも立たなくなった。 三十六年通勤したお茶の水は、何となく第二の故郷のような気がしていた。でも社屋は移転し、山の上ホテルは休業、学士会館も再開発、永かった御茶ノ水駅の改良工事は今年完成というが、どんな駅になるのだろう。刻々変わっていく御茶ノ水界隈に、自らの昔の足跡をたどるのはもう難しくなりそうだ。