初めての弘前、花巻を駆け足で旅して
2023年12月05日 [ No.130 ]
◎ 軽井沢病が高じて、軽井沢のタイムシェアのリゾートマンションを購入してから、もう二十四年になる。当初は二十年契約だったが、五年延長して、再契約。その契約もあと一年となった。契約期間中は、宿探しや、早目の予約といった手間は不要になった。合わせて、軽井沢だけでなく、箱根、那須、蓼科、金沢、京都、熱海、伊豆高原、山中湖、といった関連施設も利用できるので、あまり他へ旅行しなくなって久しい。海外旅行となると、十年前、姪の結婚式でハワイへ行ってから、もうどこへも行っていない。 それが今回、私の属している俳句結社「童子」の「三十六周年記念大会」が、十月十一日、青森県の弘前で開催されるとあって、急遽東北の旅へ行くことになった。句友が帰りに花巻にも寄ろうと言うので、旅上手の彼女の指示に従って、一カ月前に切符の手配をし、弘前と北上にビジネスホテルを予約することになったのである。 弘前には、「童子」の主宰、辻桃子さんのご自宅もある。句碑も建っている。興味は湧いた。東北新幹線で東京から新青森まで約三時間、奥羽本線に乗り換えて弘前まで約四十分、乗り換えも含めて約四時間という私としては長旅であった。でも句友四人旅だったから、退屈することもなく、途中でお弁当も食べた。車窓から見える景色は稲田が穭田になり、奥羽線に乗り換えると、岩木山も間近に望め、駅ごとに芒の数も増えて、その移り変わりを楽しむことができた。 当日は午後三時半大会受付開始とあって、ゆっくり弘前観光をする時間もなく、市内の「フォルトーナ」という会場に出向いて、開会となった。私の担当は、スナップ写真。「童子」年間賞の発表にはじまって、各種の賞の発表と続き、会は進行した。私も句集『花のもとにて』の出版祝いの目録をいただき、滞りなく閉会となった。 二日目は、大型バスで全員吟行。まず「唐糸御前史跡公園」へ。二〇一三年六月八日に、句碑開きとなった辻桃子さんの〈登髙の最後の巌を登りけり〉という句碑が、岩木山を望むりんご園の中に堂々と建っていた。この地、藤崎は、鎌倉の五代執権・北条時頼の寵愛をうけた唐糸御前の故郷で、その供養碑もあった。 次は津軽山革秀寺へ回る。津軽家初代藩主、津軽為信の菩提寺で、霊屋は漆を多用した絢爛豪華な建物、門前には蓮池がある。吟行のあとは、弘前市立観光会館のホールで三句出句、全員での句会がもたれ、解散となった。 解散後は、句友たちと弘前城を見学。ただ現在は弘前城本丸の石垣の一部を修理することになっており、城内は騒然。私達は早々に弘前駅へ戻り、新青森、盛岡を経て、二日目の宿泊地北上へ到着した。 三日目は北上駅でレンタカーを借りて、目的地のイーハトーブ、花巻をめぐることにした。イーハトーブとは、宮沢賢治による造語で、賢治の心象世界にある理想郷を指し、岩手県をモチーフとしたとされている。 まずは、宮沢賢治イーハトーブ館へ。賢治に関する様々なジャンルの芸術作品、研究論文を収集し、整理、公開している。入口の黒いコートを着た賢治像が印象的。 次は、宮沢賢治記念館へ。賢治の思想、生涯をたどる記念館で、常設展示では、宙、芸術、科学、農、祈の五つの分野ごとに多彩なグラフィックで紹介するほか、作品原稿や愛用のチェロなどを公開しているので、興味深かった。 その次は、宮沢賢治童話村・賢治の学校。賢治の童話の世界で楽しく遊ぶ施設。そのメインとなる「賢治の学校」は、それぞれに映像や音楽を使った愉しい仕掛けが。子供はもちろん、大人も童心に返って童話の世界を楽しめる。 最後はイギリス海岸へ。賢治が名付けたもので、北上川の西岸にあたる。イギリス海岸の名は、当時夏になると青白い凝灰岩質の第三紀層が露出し、イギリスのドーバー海峡を思わせたことによるもの。川岸には足の踏み場がないくらい落ち栗が累々ところがっていた。 締めのランチは「注文の多いレストラン・山猫軒」。東京の阿佐谷にゆかりのフランス料理店があるけれど、ここは地元の食材を使った和食が中心。親しみやすいメニューだった。 花巻滞在は半日ほどだったが、レンタカーのおかげで効率よく見学でき、北上駅にもどって、帰りの新幹線に乗った。車中では、俳句遊び「袋回し」などしていたら、またたくまに東京へ着いてしまった。 弘前も花巻も、本当に駆け足だったから、今ではそれぞれ再訪して、もっと長く滞在し、ゆっくりその良さを味わいたいと思っている。