「森田童子」を知っていますか?
2023年11月05日 [ No.129 ]
◎ 私が森田童子の唄に魅せられたのは、1993年のTBS系のテレビドラマ『高校教師』を見て、この時の主題歌の「僕たちの失敗」を聞いてからだ。なんと30年前の話だ。 脚本は野島伸司。主演は真田広之と桜井幸子。父親役は峰岸徹。このドラマは、教師と生徒の恋愛・同性愛・強姦・近親相姦・自殺など、当時すでに問題となっていた「社会的タブー」を真正面から扱った作品として大きな反響を呼んだ。 主題歌には、1970年代を中心に活動した女性シンガーソングライター・森田童子の曲「ぼくたちの失敗」が使われた。当時童子は一部から人気を得ながらも引退状態で知名度も高くなかったが、野島が彼女のファンだったことから主題歌への起用が決まった。「ぼくたちの失敗」はドラマの人気と共に話題を呼んでリバイバルヒットとなった。また、童子が再度注目されるきっかけとなり、廃盤となっていたアルバムがCDとして再発売され、ベストアルバムもでた。私もそのCDを買い漁ったのだ。 挿入歌の「男のくせに泣いてくれた」、「G線上にひとり」、「ぼくが君の思い出になってあげよう」、「君と淋しい風になる」、「君は変わっちゃたネ」などは、その透き通るような歌声や哀愁を帯びたメロディーとともに、今でも忘れられない。 森田童子は、1980年、池袋の三越裏の空き地に500人収容の黒色テントを張り、コンサート「夜行」を開催した。童子は、「あと何年か後には、東京にテントを張ることは不可能になるでしょう。私たちのコンサートが不可能になっていくさまを、私たちの歌が消えていくさまを、見てほしいと思います。今回のテント劇場は、私たちのコンサート活動の終末かもしれません。ひとつの終わりの時代に向けて、私達の最後のせつない夢を、見てほしいと思います」と静かに語りかけたという。その後まもなく、童子は活動を停止して表に出ることはなくなった。一部ではカリスマ的な人気を博しつつも、童子のファンは全国的に見れば少数で、童子本人がメジャー化を望んでいなかったこともあり、その作品はマスコミなどに表立って紹介されることもなくなった。 だが1993年、テレビドラマ『高校教師』の主題歌として、「ぼくたちの失敗」が使われ、活動当時を知らない若い世代を含めて新たに多くのファンを獲得した。 このドラマの脚本を書いた野島伸司は、高校時代に同級生に誘われてライブハウスで歌う童子を知り、強い印象を受けたという。野島は童子の楽曲の採用を決定したが、このリバイバルブームに対し、童子本人はマスコミの取材には応じず沈黙を守ったという。 森田童子は、1952年生まれ。2018年心不全のため死去。享年、66歳という。もうCDを聴くこともなかった私は、新聞記事で彼女の訃報を知り、驚いた記憶がある。 カーリーヘアにサングラス、男性的な服装というスタイル、自分のことを「僕」と呼ぶことが特徴で、素顔を見せることはなかった。森田童子は芸名であり、本名は非公開。加えて実生活についてもほとんど公表されず、普段も寡黙で、作品に生活感を滲ませることを避けていたから、本人に関する情報は乏しい。しかし、なかにし礼の自伝的小説『兄弟』は、作詞家として成功しながら、破天荒な兄に翻弄され、巨額の借金を肩代わりし続ける弟の愛憎と葛藤を描いた作品だが、そのなかに森田童子の子供時代が垣間見られる。そして2021年に刊行されたなかにし礼著の『血の歌』で、森田童子はなかにし礼の姪(兄の娘)であることが公表されている。 今年になって、私は、私の属している俳句結社「童子」の出版記念パーティーに出席した。「童子」は、芭蕉の「俳句は三尺の童子(わらべ)にさせよ」からきているもので、森田童子とは全く関係ない。突然、隣席の初対面の句友の0氏に、「知ってますか」と、スマホの待ち受け画面を示された。なんと、カーリーヘアにサングラスをかけた森田童子の写真ではないか。「自分は森田童子の大ファンなんです。だから『童子』に入会したんです」と笑いながら言う。「私もファンなんです。CDを持ってます」。そんなことから、話が弾み、後日、西荻の「J45」というダイニングバーに誘われた。その日はちょうど「森田童子day」で、壁には童子のレコードジャケットがズラリと貼られ、各地の童子ファンが集まっている。まだこんなに、あの童子のファンがいたんだとびっくり。まもなくギターと唄で、なつかしい童子の歌が演奏された。私は、30年前にタイムスリップしたような気分だった。家へ帰ってから、改めて昔の童子のCDを聴いてみた。私の童子の思い出と、まだ若い0氏の童子の思い出は違うだろうが、それぞれ当時の時間に戻ったひとときだった。