花のPHOTO俳句集『花のもとにて』を出版!
2023年8月05日 [ No.126 ]
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私の初めての小さな句集を、7月25日、新潮社より、自費出版した。俳句を始めて十八年、写真はこのメールマガジンをきっかけにカメラを持つようになって十年、そのコラボレーションとしてのPHOTO俳句を一冊にまとめてみようと思い立ったのだ。 ただこのメールマガジンのように、俳句一句に写真一枚にするのは予算的にも無理だったので、句集の中に写真を挟み込むようなページ立てにした。 どの句を選び,それにどの写真を合わせるか、その台割づくりには、一番苦労した。十八年も俳句を詠んできたのにいざ選ぶ段になったら、つまらない句ばかり、なかなか句集にふさわしい句がみつからない。写真のほうはずいぶん溜まっていたので、これまた選択に迷った。結果、俳句は、私の属している俳句結社「童子」の主宰、辻桃子先生にあらためてご指導いただき、写真はそれでも厳選したが、素人写真なので、色校でずいぶん印刷所に助けてもらった。 昨秋から、私が一昨年出版した短編小説集『夢の夢こそ』の新潮社の担当編集者だった川上浩永さんと打ち合わせを重ね、この二月、やっと原稿と写真を入稿し、それから文字校正、色校正を重ねた。装幀は新潮社装幀室、本文レイアウトは新潮社デジタル編集支援室、印刷は半七写真印刷工業と、いずれも新潮社の出版物を手掛けているプロ集団の力を借りて、この一冊が生まれたというわけだ。 思えば私が俳句を始めたきっかけは、出版社を定年になって何をしようかと思った時の選択肢のひとつだった。故・中小雪さんに誘われて、深い考えもなく彼女の属していた俳句結社「童子」に入会した。大した勉強もせず、したがって大した進歩もなく、俳句を詠んでいたが、本気になったのは十年前にこのメールマガジンを始めてから。せっかく俳句を勉強しているのだから、その巻頭に「PHOTO 俳句」欄を設け、俳句と季節感のでる花の写真をコラボさせて見ようと思いたってのことだ。ただ俳句を補うような説明写真は撮りたくなかったし、写真を説明する俳句も詠みたくなかった。あくまで両者のコラボから生れる世界を大事にしたかった。 花の「PHOTO俳句」のためには、花の名前を覚えるのが先決だった。それも花屋の花でなく、俳句に詠みやすい花木から、山野草、道端の草花まで、近所や庭園、公園を足で回ってむさぼるように学習した。それまでは花の名前など無知に等しかった私が、半分くらいわかるようになったのは、角川庭園のYさんはじめスタッフの方々、庭師のFさん、「園芸ガイド」の元編集長Nさんなどのおかげだ。 写真はそれまで記念写真くらいしか撮ったことがなかったが、植物図鑑のような写真は撮りたくなかった。だから植物のそのもののアップだけでなく、その香り、その手触り、日の光、風の流れ、雨の音まで感じられるような物語のある写真を撮ろうと高望みをした。でも無手勝流ながら毎日のように撮っているせいか、当初より写真のほうは多少進歩したような気がする。 フォト俳句の第一人者で、著書『中谷吉隆のフォトハイク!読本』がある写真家の中谷吉隆さんは、「フォト俳句は、写真と俳句の『足し算』ではなく『かけ算』です」と言う。「仲間と一緒に楽しむのもよいでしょう。自分にはない視点に気付き、刺激されます」と句友との吟行も勧める。さらに中谷さんは、「家にこもらず外へと飛び出し、頭と体のどちらも鍛えられる。健康維持にもってこい」とも解く。 確かに、特にコロナ禍の最中は、皆家の中に引き籠った。でも私はコロナと同じくらい、運動不足が気になった。それで誰もいない朝の時間に限って、カメラを持って、マスクをかけ近所を歩き回った。そんな時でも、花は咲き、実をつけ、季節は移り変わる。被写体には困らなかった。幸い徒歩圏には角川庭園や大田黒公園がある。私はそこを独り占めにして、ベンチで句帳を広げ、俳句を詠んだ。当時の俳句や写真も、この句集には収載してある。 ところでこの句集の集名を『花のもとにて』にしたのは、歌人西行の〈願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ〉という辞世の短歌に今の気分がぴったりだったから。角川源義も〈花あれば西行の日とおもふべし〉という俳句を詠んでいる。この句集は辞世の句集というわけではないが、ここで一区切りという思いは込めた。 これからは第二ステージと思って、新たな心で俳句に取り組んでいきたい。頭と体の健康維持のためにも、できる限りPHOTO俳句も続けていきたいと思っている。