「牧 康子の部屋」十周年を迎えて
2023年3月05日 [ No.121 ]
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おかげさまで「牧 康子の部屋」も、毎月更新しながら、この3月号で十周年を迎えることができた。定年後の一人暮らしは孤独になりがち。ましてコロナ禍で自粛を強いられると、いっそう世間から取り残されてしまう。だから自分の「見てね、聞いてね」を人に伝える「牧 康子の部屋」という場を設けたことは、私自身にとって何よりのメリットになったと思う。私の「元気の素」と言えるかもしれない。 このページを一カ月単位で埋めるには、コロナ禍でも引きこもってなんかいられない。心配のない朝の時間を使って公園に出かけたり、通院時は寄り道をしてカフェにも立ち寄る。新聞広告で面白そうな本を見つけると、すぐ買ったり、図書館で借りたりと、いろいろ忙しくしている。 九周年の時も書いたが、きっかけは、十年前、『繭の部屋』という短編小説集を自費出版したから。その時、その本の装丁をお願いしたOさんが、宣伝にとホームペ―ジを開設してくれた。いっときのことだろうと彼も私も思っていたが、更新していくうちに面白くなってきた。そしてメールマガジンという今の形にまで発展したのだ。 はじめは写真もろくに撮れなかった私が、「PHOTO俳句」や、「日々」、「TOPICS」のページを中心に、時々小説や、エッセイ、俳句もご紹介しながら、休みなく続けられたのは、ひとえにそのOさんはじめ、読者の皆様のあたたかい励ましがあったからこそにほかならない。 あらためて一番にお礼を言いたいのは、そのOさんこと尾崎芳夫さん。私が現役時代、「プラスワン」というインテリア雑誌をやっていた時の、エディトリアルデザイナーだった。その縁で、『繭の部屋』の装丁をお願いしたわけだが、彼が提案してくれなかったらホームページを開こうなどとは思いつきもしなかった。そして十年の長きにわたって、多忙な本業の傍ら、私のわがままを聞きながらこのページのウエッブデザインをしてくれているのだ。彼の本業は、リンク集の「Sense of Wonder(センス・オブ・ワンダー)」を開けばわかっていただけると思う。 同じく感謝したいのは、読者の皆様がた。高校や大学時代のクラスメート、会社時代の同僚、後輩、小説、俳句仲間の方々だ。あたたかい感想を述べてくれるし、間違いも指摘くれる。ありがたいと思うしかない。 と言っても私のメールマガジンは一方的に発信しているものだから、感想を強要しているわけではない。もちろん読み捨てでもかまわないし、興味がなければ読まなくたっていい。それが、メールマガジンならではの長所であろう。 ところで話は変わるが、先日の「大寒」の日の翌日、一通の寒中見舞いが届いた。差出人は私の知らない女性の名前だ。 でも文面を読んで、愕然とした。私が現役時代、仕事をお願いしていたイラストレーターの高橋善則さんの訃報で、昨年六月に病気療養の末、永眠されたという奥様からのご挨拶状だったのだ。まだ五十代ではなかったろうか。 「クロワッサン」で高橋さんのイラストを見かけて、うちの雑誌でもお願いできないかと、連絡したのが最初だった。二十年以上前のことだ。それから毎月のように仕事を依頼した。その頃確か結婚されて、奥様をモデルにしているとうれしそうだった。イラストから、きっときれいな方だろうと想像できた。彼の都会的で、明かるいイラストは、ずっと誌面を飾ってくれた。 私が定年退職してからは、お目にかかることもなかったが、昨年まではお正月に欠かさずイラストカレンダーを贈り続けてくれた。カレンダーには毎月素敵な女性が描かれていた。私には、おしゃれな女性が毎月お客様にいらしてくださるような、心楽しいアイテムだった。 思えば去年頂いたカレンダーが最後の作品になったのだ。「今年は遅れているのかしら」と思いながら、去年のものを片付け、ダイニングテーブル横の棚の定位置を空けていた。でもそこに二度と新しいカレンダーを飾ることはないのだ。そう思うと、部屋にぽっかり穴が開いたような、心寂しい気持ちになった。そこにはお花でも飾って、精悍で、やさしい眼をした、当時の彼のイメージのままに、追悼したいと思っている。 高橋さんが毎年贈ってくれたカレンダーのように、私の毎月の「牧 康子の部屋」が、いっときでも皆様への季節の便りになったり、楽しみになったり、情報源になったりすればとてもうれしい。だから健康が許す限り、これからも細々とでも続けていければと思っている。いつか高橋さんのように「さよなら」を言わなければならない時まで。