再び、玉村豊男さんの「ヴィラデスト」を訪ねて
2022年10月05日 [ No.116 ]
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私の部屋には自慢するようなものは何もないが、玉村豊男さんのサイン入りの版画二枚だけは、本物だ。七年前、長野県東御市の「ヴィラデスト」を訪ねた折、玉村さんから直接購入した。その昔、サルトルやボーヴォワールやカミユの行きつけだったパリの「カフェ・ドゥーマゴ」を描いた版画と、もう一点、やはりパリのカフェを描いた版画だ。 その昔から、私大の仏文科出身の私は玉村さんのエッセイや版画のファンで、一度お会いしたいと思っていた。軽井沢駅からしなの鉄道を乗り継ぎ、田中という駅からタクシーで十分の「ヴィラデスト」を訪ねたのは、2015年の夏の終わりだった。大学時代のクラスメート五人。もちろんその中には、故・中山幸子さんもいた。当時は玉村さんも私たちの記念写真に入ってくださって、念願かなったというものだ。 七年というのは、短いようで長い。「ヴィラデスト」はどのように変わっただろうか。今回はクラスメートの一人がクルマを運転してくれたので、軽井沢駅から現地まで、一時間ほどで到着。朝から小雨が降り続ける晩夏の一日だった。 「ヴィラデスト」の正式名称は、「ヴィラデスト ガーデンファームアンドワイナリー」。雑木林に囲まれた信州の里山の一角にある玉村さんのご自宅の庭先に作られている農園リゾートだ。「ヴィラデストカフェ」をはじめ、「ワイナリー」、「ガーデン」、「ギャラリー」、「ショップ」などがある。 私達は食事の前に、初秋の花々やハーブが自然のままに咲き乱れるガーデンを、傘を差しながら散策した。玉村さんは厨房の奥にいらしたが、お忙しそうでご挨拶は遠慮した。若いスタッフの方が何人も、きびきびと働いていたのが、目についた。 「ヴィラデストカフェ」は、ワインを飲みながら、獲れたばかりの新鮮な素材を生かした料理を楽しむという、農園レストランならではの素敵なところだ。アミューズから、野菜やハーブたっぷりのオードブル、メインディシュ、デザート、お茶まで、今回もどれも変わらず美味しい。窓の外には、雄大な北アルプスが望め、いっそう葉の生い茂った葡萄畑や、野菜畑、広々としたナチュラルガーデンが見渡せた。 「ギャラリー」では、玉村さんの新しい版画を拝見、「ショップ」には、ここならではのワインや、ジャム、ジュース、ポストカード、食器などが並んでいて、あれこれと買物もした。まさに記念すべき夏休みの一日だった。 玉村豊男さんは、エッセイスト・画家・ワイナリーオーナー。1945年東京に生まれ、東京大学フランス文学科卒。1968年パリ大学言語学研究所へ留学。1972年より文筆業。1983年長野県軽井沢町、1991年同県東部町(現・東御市)に移住して農園を開き、2004年「ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリー」を開業。2007年には元箱根に「玉村豊男ライフアートミュージアム」も開館。2014年には「日本ワイン農業研究所」を設立し、アルカンヴィーニュ(ワイナリー)を拠点とする「千曲川ワインアカデミー」を開講した。 玉村さんが1995年の春に刊行した『田園の快楽』(世界文化社)には、「ヴィラデスト」という拠点をつくり、はじめての農業に取り組んだ、最初の三年間の記録が記されている。 「私達夫婦が東御市の里山の上に引越したのは、1991年のことだった。私が45歳、妻が40歳。人生の後半を二人で畑を耕しながら静かに暮らそうと思っていた。そのシンプルで健全な暮らしの喜びを、私達は『田園の快楽』と名づけたのだ」とある。 そして、2018年に刊行した「新・田園の快楽」には、「『ヴィラデスト』の二十七年を振り返り、現在の状況を報告しながら、東御市の里山の上で私たちが切り拓き、そして多くの人々の手で支えられ今日まで受け継がれてきた『田園の快楽』・・・すなわち自然の中での美しい暮らしを求めるライフスタイルへの共感を、私達とおなじ年月を過ごしてきた、老人と呼ぶにはまだ早すぎる仲間たちとも分かち合いたいと考えている」と書かれている。 そして「おわりに」で「この見事なブドウ畑が、『田園の快楽』を知る若者たちに手によって受け継がれ、素晴らしいワインができる素晴らしい土地を与えてくれた地域の財産として、人々に愛されながら永らえることを願うばかりだ」と結んでいる。私達は玉村さんに「賢く楽しい老い方」も教えられたような気がした。