あはは!『ほいきた、トシヨリ生活』
2022年5月05日 [ No.111 ]
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中野翠さんの『ほいきた、トシヨリ生活』(文春文庫)を読んだ。呼び捨てにせず、中野翠さんと書いたのは、若い日の一時期、同じ出版社で仕事をしていたから。彼女は宣伝部、私は編集部だったから、親しく言葉を交わしたことはないが、挨拶くらいはしていた。当時からシャキシャキしていた。きっと彼女はもう私のことは覚えていないだろう。 中野さんの経歴を読むと、1946年生まれ、私より二歳年下だ。早稲田大学卒業と大学も同じ。出版社勤務などを経てコラムニスト、エッセイストとして文筆業に。「サンデー毎日」や「週刊文春」に連載を書いたり、著書も多数ある。大差がついてしまったが、いまだに独身で、独り暮らしというところには共感を覚える。 有名になるには、五木寛之、藤田宜永、松岡正剛そしてやはり同じ出版社にいた中島京子さんのように、大学は中途退学、会社は中途退社するぐらいの気概がないとだめなのかもしれない。定年まで勤めた私は、ものを書くことは続けているものの、自費出版やこのメールマガジンを発信するくらいがせいぜいだから。 2018年の10月号のこの「日々」欄で、私は五木寛之や曽野綾子の賢い老後の過ごし方に言及した。ほかにも、私が若いころ活躍していた作家や文化人が、次々とその種の本を出している。ほとんど目を通しているが、なるほどとうなづけることばかり。勉強にはなるが、とてもその通りにはできないというのが本音だ。その点、この『ほいきた、トシヨリ生活』は、あはは、そうね、と読み飛ばせるところがいい。 この本の「エピローグ」に、中野さんは「私もとうとう古希となり、バリバリのバアサンであることを認めることにした」と言っている。そんな中、文藝春秋から「シニア生活の愉しみ」と言った本をつくりませんか」という提案を受け、「うん、ここらで自分の歳とシッカリ向きあったうえで、なお楽しみにしていることが書けたら、私自身にとっても励みになるかもしれない」と思って書き始めたという。文庫化にあたっては、「気軽に読んでいただけたら、幸い。ほんのちょっとでもヒントになれば……」と。 「プロローグ」には、『贅沢貧乏』の森茉莉と、澤村貞子の対極にあるような生き方が描かれ、その間で揺れながら、やっぱり彼女はぐうたら三昧の森茉莉寄りかと思ったと言う。 続けて、「恩返し」の小畠春夫さんはじめ、アッパレな先輩たちが登場。そして、笠智衆、ジュリーとショーケン、セツ先生など、美老人への道へと進み、おすすめの老人映画『八月の鯨』、『ストレイト・ストーリー』などが紹介される。 私は同世代だから、そこにでてくる森茉莉も澤村貞子もよく読んだし、ジュリーやショーケンもリアルタイムでテレビで楽しんだ。映画もほとんど見た。だから中野さんが何を言いたかったのかは伝わってくる。 ここまで読み進めただけでも、この本がいわゆる老人の正しい生き方指南本とは、根本的に違うということがわかっていただけるだろう。 「ハイライト」は、「バアサンファッション」。高齢の母親の入院時のパジャマには,花柄は避けて、「ラルフローレン」のストライプやチェックを選ぶ。彼女が目下苦慮しているのは、黒からの脱却だそうだ。主に「コム・デ・ギャルソン」や「ズッカ」のものを愛用していたから、今は工夫をしてルームウエアにしている。得意の手作りのワザを加えて、よみがえらせているのだ。彼女のイラスト付きでそのワザを紹介しているページもある。そう言われれば、私自身もユニクロや無印良品はたまには買うものの、彼女同様、着古した毛玉のついた「マーガレット・ハウエル」のセーター類は捨てがたく、着心地がいいので普段着として愛用している。 「老後の愉しみ」という項目も、面白い。趣味は多いほどいい。彼女の趣味は多彩だ。習字、絵、自分史、メール句会、インチキ手芸、麻雀、クロスワードパズル、旅行など、枚挙にいとまがない。仕事とこの趣味があれば、年をとっている暇などないのではないかと思う。 中野さんは、ラストの「最後まで一人を愉しむ」という項目に、「多くの場合、他人は自分の死を実感できない。生まれた時に『今、私は生まれた』という意識がないのと同様、死んだ時も『今、私は死んだ』と、死を実感することはできない。それは、ささやかな救い、ということにならないか。とりあえず、生きているのだから、ありがたく思って生きて行こう。できるだけ面白く楽しく。心の中の青空を探して行こう」と、結んでいる。中野さん、ありがとう、たくさんのヒントをいただきました。