オンライン時代の相棒・パソコンとのつきあい
2022年4月05日 [ No.110 ]
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去る3月23日、突然、ウクライナのゼレンスキー大統領が、我が家の「お茶の間」に侵入してきた。うちばかりでなく、日本全国民の「お茶の間」でも、同じ演説をはじめたのだ。ロシアの侵攻を受け、地球規模で注目されている彼が、ウクライナの窮状を訴え、「日本がすぐに援助の手を差し伸べてくれた。心から感謝している」と語りだし、「侵略者に対する強いメッセージが必要だ」と強調し、日本政府に国連改革やロシアとの貿易禁止を求めたのである。 毎日のように報道されているウクライナ危機の当事者が、オンライン会議システムで国会内の会議室と、ウクライナをつないで演説し、在日ウクライナ大使館の職員が同時通訳した。岸田文雄首相や衆参両院議長ら515人が出席し、演説は約12分間続いた。 まさに時の人が、我々日本人に直接語り掛けてきたのだ。私はその12分間、テレビにくぎ付けになったし、私ばかりでなく日本国民も同じだったろう。インパクトは強かった。ゼレンスキー大統領がこうした手段をとったことは、今やそういう時代だということを、いやでも知らされた。 私はここでこれ以上ウクライナ問題に言及するつもりはないが、このオンラインシステムが、それほど私達に浸透してきたということを言いたかったのだ。コロナ禍で、こうしたオンライン会議に慣らされてきた現役の人々は、むしろ当然の手段だと思ったかもしれない。 会社を定年退職し、平時なら、オンラインシステムなどとは関係なく生活していたであろう私ですら、コロナ禍のもとではそうは言っていられない。まずみんなで集まって、わいわい俳句の話をする句会の一つが、オンライン化した。エディターの集まりだったから、比較的スムーズに取り入れられた。ホストの舵取りで、それぞれが自宅のパソコンの前に座って、句会がはじまったのだ。最初は興味津々だったが、メールでやりとりする通信句会のほうが時間に縛られないとわかって、通信句会へと移行した。 また私がマンションの副理事をしていることは前にも書いたが、その定期理事会もオンラインのZOOM会議に切り替わった。狭い管理人室に、管理会社の担当者や、私達理事や、業者が集まるより、ZOOM会議のほうが感染の心配がないという判断だ。 懸案だった外部階段の修理は、私が強く主張したので、すべての階段のノンスリップ金物の交換工事をして、大規模修繕前の3月に終了した。一安心というものだ。その間にも地震があり、早めに提案しておいてよかったと思った。次の議題はマンションの防犯カメラの交換で、ZOOM会議では複数の業者からの金額も含めた提案を比較検討できた。 コロナ禍のもとで、こうしていやおうなく私達の生活にも、オンライン化が浸透してきた。映画館や美術館、公園にいたるまで、パソコンで予約しなければならなくなった。パソコンが使えなかったら、ZOOM会議に参加できなかったら、こうした日常的な付き合いにもついていけなくなったろう。私の場合は、スマホは主に電話やライン、メッセージなどの連絡用に使っているから、メインはパソコンということになるのだ。 私は独り暮らしだから、パソコンやスマホのことが訊ける夫や息子はいない。しかし現役時代、会社で強制的にパソコンについて教育を受けた。それでもわからないことは、社内にヘルプデスクという部署があって、すぐ飛んできてくれた。 定年退職して自分用のパソコンを購入したが、困ったのはヘルプデスクがいないこと。最初は友人知人に助けてもらったが、いつもというわけにはいかない。 そこで私はやむなく電気器具量販店の、電話&リモートでパソコンの質問に答えてくれるオンラインシステムに加入した。これも予約制だから、困ったときすぐというわけにはいかないが、今はすっかりお世話になっている。 このメールマガジンに始まって、小説、エッセイ、俳句そして Facebook まで、私は書くものすべてをパソコンに頼っている。写真の取り込みも、年賀状も、何もかもだ。 今やパソコンは、私の「相棒」とも言える存在なのに、なかなか思い通りに言うことをきいてくれない。時々、トラブルも起こす。大事な連絡メールの差出人が、なぜかMEIWAKUメールに分類されてしまったり、度々送受信エラーを起こして送ったはずのメールが届いていなかったりと、トラブルは数え上げたらきりがない。 でも始まってしまった令和のオンライン時代、文句を言いつつこのパソコンと付き合っていかなくてはならないだろう。退職してから、今のパソコンで四台目になる。