ありがとう! 「牧 康子の部屋」九周年
2022年3月05日 [ No.109 ]
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だらだらと続けてきた「牧 康子の部屋」も、毎月五日に更新しながら、この3月号で九周年を迎えることができた。八周年の時も書いたが、きっかけは、九年前、『繭の部屋』という短編小説集を自費出版したから。その時、その本の装丁をお願いしたOさんが、宣伝にとホームペ―ジを開設してくれた。一回限りのことだと彼も私も思っていたが、更新していくうちに面白くなってきた。そしてメールマガジンという今の形にまで発展したのだ。 はじめは写真もろくに撮れなかった私が、「PHOTO俳句」や、「TOPICS」、「日々」のページを中心に、時々小説や、エッセイ、俳句もご紹介しながら、休みなく続けられたのは、ひとえにそのOさんはじめ、読者の皆様のあたたかい励ましがあったからこその産物である。 なんといっても一番にお礼を言いたいのは、そのOさん。 私が現役時代、「プラスワン」というインテリア雑誌をやっていた時の、エディトリアルデザイナーだった。その縁で、『繭の部屋』の装丁をお願いしたわけだが、彼が提案してくれなかったらホームページを開こうなどとは思いつきもしなかった。そして九年の長きにわたって、多忙な本業の傍ら、私のわがままを聞きながらこのページのウエッブデザインをしてくれているのだ。 続けて感謝したいのは、読者の皆様がただ。そのなかでも高校時代の友人、Tさんにはお礼を言いたい。私の「PHOTO俳句」を最初に認めてくれた人だ。下手な俳句、下手な写真で始めたが、毎号、写真について、良かったもの、悪かったものを取り上げて、感想を述べてくれた。5点の並べ方についてもアドバイスをくれた。そのおかげで、俳句はまだまだだが、いわゆる「写真俳句」とは一線を画した「PHOTO俳句」の世界が出来上がってきたように思う。 次に上げたいのは、記者時代の仕事仲間、Nさんだ。毎月その「PHOTO俳句」の一句一句について述べてくれる。 「TOPICS」についても関心あるものを取り上げてくれる。「日々」についても必ず丁寧な感想を伝えてくれる。一カ月も休まずだから、感謝に絶えない。 加えて大学時代のクラスメートの男女数人にも、お礼を言いたい。やっぱり全般にわたってあたたかい感想を述べてくれるし、自分達の近況を伝えてくれる。中でもフランス在住のSさんは、最新のヨーロッパのコロナ事情なども伝えてくれるので、国を越えた情報交換ができるというものだ。 ほかにも、まず一番に短いが的確な感想を述べてくれる人はじめ、感想や、近況のメールが一週間は絶えない。ありがたいと思うばかりだ。 ところで、先月の「日々」のテーマ、「今度生まれたら」には、予想以上の反響があって面白かった。 男性陣からは、「透明人間になりたい、さもなければ金持ちになって若返りたい」とか、「せっかくなら人間以外に生まれ変わりたい、地球から一番遠い星で」とか、「女に生まれ変わりたい」というのがあるかと思えば、「残り少ない日々を今のまま全うしたい」などなど。 女性陣からは、「飛行機のパイロット。あまり高すぎない上空から地球を眺めるのが好きなので」とか、「声優、顔を知られる俳優は日常が不自由になる。嫌な人とは絶対できない濡れ場も声優なら、どうってことない」とか、または「生まれ変わっても今の夫と結婚したい」という答えが何人からも返ってきて、うらやましく思ったりもした。 「日々」には、コロナ禍事情や、二冊目の短編集『夢の夢こそ』の紹介など、私の身辺雑記を綴ってきたが、時にはこの回のように双方向にするのもいいかなと思った。 と言っても私のメールマガジンは一方的に発信しているものだから、感想を強要しているわけではない。もちろん読み捨てでもかまわないし、面白くなければ読まなくたっていい。それが、メールマガジンならではの長所であろう。 退職後一人暮らしをしていると、孤独になりがちだ。ましてコロナ禍で自粛を強いられると、いっそうそうなってしまう。だから自分で「牧 康子の部屋」という場を設けたことは、自分にとって一番メリットになっているような気がする。このページを一カ月単位で埋めるには、引きこもってなんかいられない。コロナ禍でも、心配のない朝の時間を使って公園に出かけたり、通院時は寄り道をしてカフェにも立ち寄る。新聞広告で面白そうな本を見つけると、すぐ買ったり、図書館で借りたり。「牧 康子の部屋」は、老後の私の支え、杖といえるかもしれない。健康が許す限り、これからも細々とでも続けていきたいと思っている。