今度生まれたら
2022年2月05日 [ No.108 ]
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「今度生まれたら、この人とは結婚しない。70歳になった佐川夏江は、夫の寝顔を見ながらつぶやいた。結婚至上主義時代に生きてきた夏江が、将来をかけて勝ち取った相手だ。だが自分の人生を振り返ると、節目々々で下してきた選択は本当にこれでよかったのか。あの時、確かに別の道もあった。やりなおしのきかない年齢になって、夏江はそれでもやりたいことを始めようとする」 長々引用してしまったが、これは内館牧子の小説『今度生まれたら』の帯文の一節だ。『終わった人』、『すぐ死ぬんだから』に続く三冊目の「老後」小説。いずれも年をかさねた人々の心をえぐるタイムリーな書名だ。 最初の『終わった人』はずいぶん話題になった。舘ひろし主役で映画化もされた。仕事一筋だった田代壮介は、定年を迎えると途方に暮れる。生きがいを求め、居場所を探し、惑い、あがき続けたのちに、ある再生の道を見つける。 次の『すぐ死ぬんだから』も三田佳子主役でテレビドラマ化された。78歳の忍ハナは、夫にいつも「おまえと結婚してよかった」と言われ、幸せな老後をすごしていたが、突然夫が倒れたところから、思わぬ人生の変転が待ち受けていた。 三冊目の『今度生まれたら』も、書名、帯文、結婚から夫の定年後に至る佐川夏江の生き方まで、多くの中高年女性の反響を呼んだ。男も女も永年いっしょに暮らしていけば、だんだん変わっていく。それをよしとするか、別れて人生をやり直そうと決心するかどうか。私は結婚したことはないが、大いに考えさせられる作品だった。 ある女友達に「今度生まれたらどうする?」と聞いてみた。彼女は若くして結婚し、男の子を産んだが、すぐに離婚。その子は結婚して孫もいる。彼女は、愛猫と共に広いマンションで独り暮らしをしている。返ってきた答えは、幸せな結婚でもなく、キャリアウーマンでもなく「猫に生まれ変わりたい」と。 「あなたは?」と聞かれたので、私が冗談に「美人に生まれて、女優かモデルになるのも楽しいかもしれない」と答えたら、彼女は「女優になったら、いやな人ともキスしなければならないし、視聴率に左右される。モデルになったら、寒い時でも海に入ったり、暑い時でも毛皮を着たりしなければならない。たいへんだわ」と、まじめに言い募る。生まれ変わることなどできるはずのない話だから、もっと自由に空想を楽しんでもいいと思ったが、「それもそうね」と相槌を打って、話題を変えた。 学生時代の女友達たちは、ほとんど結婚して、子供や孫もいる。その昔、盛大な結婚式にも出席させてもらった。彼女たちは、結婚当初、「この人といっしょになれて幸せだ」と言っていたが、長い結婚生活のある時には、内館牧子の小説のように「今度生まれたら、この人とは結婚しない」と思ったこともあっただろう。でも今や早くも何人も夫に先立たれてしまったり、病気になってその介護に追われたりと、最終ステージに立たされている。夢物語に、うつつを抜かしている暇はなさそうだ。 人生は、もうこの年になったら、やり直しはきかない。私も二十代の頃は結婚するつもりだった。でも好きだった人には振られ、そうでもない人にプロポーズされたりして、思い通りにはいかなかった。出版という仕事があったから、独身でもいいかと、仕事に打ち込み、またそれが面白くなって、結局仕事一筋の人生になってしまった。おかげで定年後もその続きで、小説や俳句をやったり、メールマガジンを始めたりして、「終わった人」になることなく日々を過ごしている。 私は今度生まれたら、「お嫁さん」になって、専業主婦をするのも悪くないかなと思った時代もあったが、年をとって現実が見えてくると、「お嫁さん」は取り下げた。 だったら、脚本家になるのもいいなと思っている。鎌田敏夫のようになって、「ニューヨーク恋物語」を上回るシナリオを書き、田村正和や篠ひろ子を自由に操る。北川悦吏子のようになって、「ロングバケーション」まがいのシナリオを書いて、キムタクや山口智子を活躍させる。これも楽しそうだ。 生まれ変わることはないわけだから、何を夢見たって許される。無理だろうと軽蔑されることもない。ただ私の夢が、「書く」ことにつながってしまうのは、我ながらちょっと悲しい。 感染症に振り回される今日この頃、「どうせすぐ死ぬんだから」とあきらめず、「今度生まれたら」なんて、とりとめもなく考えるのも気晴らしになるのではなかろうか。