もうすぐ大地震が来るの?!
2021年12月05日 [ No.106 ]
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十月七日の夜十一時前のことだった。私はこの時間は、たいていソファーに横になって、テレビを見ながらうとうとしている。だから見たい番組は必ず録画もセットして、あとで見直すことも少なくない。そのときどんな番組を見ていたかは覚えていないが、いきなりぐらぐらっと来た。たちまち目が覚めた。観葉植物がゆらゆら揺れている。壁に掛けている額や時計や鏡がカタカタ音をたてている。キッチンでは食器や調理器具も鳴っている。でもそんなことはときどきあったから、すぐ治まるだろうと思っていた。 だが揺れは異様に長引いている。テレビの画面に、緊急地震速報が流れた。震源地は千葉県北西部、マグニチュード5、9、最大震度5強と言っている。十年前の東日本大震災につぐ大地震ではないか。 まもなく揺れはおさまった。十年前ほど激しくはなかったように思う。さらに地震速報を見続けていたら、震度5強は東京では足立区だけで、私の住んでいる杉並区では震度4と聞いて納得した。うちの中を調べてみたら、棚のフォトスタンドがひとつ倒れただけ、前回は止まったガスも止まらなかった。ただマンションのエレベーターは前回同様止まって、翌日午前中まで復旧しなかった。 地震直後、マンションの若い隣人からLINEが入った。「被害はありませんでしたか。うちは大丈夫でした」と。しばらくして埼玉、茨城などに住む女友達からもLINEが届く。皆ほとんど被害はなかったようである。 十年前の東日本大震災の時は、もっと揺れたし、時間も長かった。しばらくして八十代のマンションの理事長から安否確認の電話が入り、そのお孫さんが室外のガスメーターの点検と復旧に回ってくれた。その理事長はもう亡くなり、お孫さんも独立。この十年で住民もずいぶん変わった。 定年後、私は思い切ってマンションの室内の大掛かりなリフォーム工事をした。地震を想定し家具は腰の高さに全部そろえたから、倒れるものはない。テレビは粘着テープで止めた。キッチンの扉には耐震ラッチを付けた。当時のリフォーム会社のアドバイスだったが、おかげで十年前も、今回も、あまり怖い思いをしなくて済んだ。 だから前回の震災後は、もっぱら災害用品の整備に努めた。まず飲み水の確保と思い、ミネラルウオーター半ダースをキッチンに常備、同時に必要となるだろう生活用水は空のペットボトル一ダースに水道水を詰め、玄関のクローゼットに収納した。よく風呂の水は抜かないと言う人がいるが、マンションだから浴室内の湿気のほうが心配だ。 カセットコンロはボンベといっしょに二台購入。簡易トイレは災害用を一箱買って、まだ開けていない。懐中電灯や電池、手回し充電ラジオなどは一か所にまとめてあるが、日常的にも使うので、リュックには詰めていない。いざというときはすぐまとめられるバッグはそばにおいている。ただ食料は保存できるものを多めに買って、食べたら補充するといったその場しのぎだった。 今回の地震のあと、専門家が東京直下型地震は三十年以内には必ず来ると言っていた。3日には大月、山梨、和歌山でも、震度5弱の地震があった。それで水はこれでいいとして、食料は本格的に用意しなければと思っていたら、友人が一人で三日食べられるという「イザメシキャリーボックス」を教えてくれた。賞味期限は三年と言う。今自分が購入している食品はそんなに持たないし、いつも保存食ばかり気にしているわけにもいかない。コロナの自宅療養者に届けられる食品をテレビで見ていると、カップ麺ばかりが目についてげんなりする。このボックスには、雑炊、煮物などのレトルト食品がセットされているが、そこそこおいしそうだ、それでさっそく購入してみた。三年は持つというし、コンパクトでどこでも収納できるので便利だ。 ただ大地震は家にいるときに起きるとは限らない。外出しているとき、電車に乗っているとき、突然起きるかもしれない。以前はショルダーバッグにミニ懐中電灯や、ホイッスル、シートなどの防災用品を入れていつも持ち歩いていた。バッグは石のように重く、腰を痛めてしまった。 それからは遠出の時は常備薬くらいは持参するが、あとはほとんど防災用品は持たない。その代わり、現金を多少多めに持つようにした。現金があればタクシーにも乗れるし、ホテルにも泊まれる、食べ物も買えるし、電話もかけられる。そんな時はカードは役に立たないだろうから。 そうして準備していても、いつなんどきどこで地震に襲われるかわからない。死んでしまえばそれでお終いだが、重症ということもあるだろう。でも今からそんなことを考えていても仕方ないから、一通りの準備をしたら、あとは日々、悔いのないように過すしかないと思っている。