短編小説集『夢の夢こそ』を自費出版して
2021年10月05日 [ No.104 ]
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私の朝一番の日課は、パソコンを開いてメールとフェイスブック(FB)をチェックすること。寝るのは1時ころだからほとんど新着はないけれど、その頃毎朝目についたのが、FBの新潮社の自費出版の広告だった。「想いをかたちにするために」。中年の男性が語り掛ける。 はじめは見過ごしていたが、だんだん気になってきた。ちょうど新型コロナウイルスの感染が拡大しはじめ、外出も控えていた2020年の3月のことだった。そのうち書き溜めた小説をまとめたいと思っていたので、引きこもりの続く今がチャンスかも知れない。新潮社は、大学時代から読んでいたカミュ全集はじめ、よく読む小説はほとんどこの出版社の本。そこから自分の本を出せるかもしれないと、とにかく相談に行くことにした。 応接室に現れた人物は、FBの新潮社の広告ページに載っていたその人、U氏だった。毎日見ていたお顔だったから、初めてお目にかかったような気がしない。新潮社の自費出版の概要を、原稿執筆から整理、造本仕様、入稿、校正、装丁、完成、販売まで、詳しく伺った。私としては多分最後の機会になるだろうし、小説ならここしかないと思っていた新潮社図書編集室に、思い切ってすべて依頼してみようかという気持ちになった。でもそのときは私の作品がそろったらまたということにして、新潮社を辞した。 八年前、私の初めての短編小説集『繭の部屋』を作った時は、編集も校正も自分でして、装丁だけエディトリアルデザイナーのOさんに依頼。手作り感覚で出身の主婦の友社から出版した。内容は、同人誌に折々投稿していた九作品をまとめた。Oさんは発売に合わせてこのホームページも開いてくれた。毎月配信のメールマガジンとして、今も続いている。 今回は、二〇一五年「さばえ近松文学賞」(特別審査員・藤田宜永氏)で、初めて「近松賞」を受賞した作品「夢の夢こそ」をはじめ、以降いくつかの小さな文学賞を受賞できたので、それらの作品を中心にまとめてみようと思った。毎朝、FBからU氏が励ましてくれる。でも受賞作だけを集めるとしたら、この先何年かかっても完成しないかもしれない。そこで新作も加えて十作品にして、スタートすることに決めた。新潮社との出版契約は二〇二一年三月、担当は優能な若手編集者、Kさん。さくさくと進行してくれた。制作に半年かけた。拙い作品集だが、さすが小説の新潮社。編集、校正から装丁までプロ作家の作品のように、徹底的に取り組んでくれた。結果、本としての仕上がりは予想以上のものになったと思う。その間メールと宅配便が何度となく行き交ったが、一度も社へ足を運んだことはない。コロナの真只中の仕事だったが何の支障もなく、校了となった。 この短編集の書名も、一番目の作品のタイトルも、『夢の夢こそ』。近松門左衛門作の「曾根崎心中」の有名な一節「此の世の名残。夜も名残。死にゝ行く身を譬ふれば、あだしが原の道の霜。一足づゝに消えて行く。夢の夢こそあはれなれ。」(岩波文庫)から、いただいた。 作家になることは学生時代からの私の夢だった。夢は夢のままで終わるが、この夢は私の一つだけの人生の目標だったので、『夢の夢こそ』という書名をつけることにしたのだ。 この短編集は自分史ではない。近松の時代も、現代も変わらぬ恋の真実を、十の物語のなかで描きたかった。近松の時代の恋を、現代の大人の恋に置き換えたらどうなるか。主人公達は、人生の半ばをすぎた中高年の男女。彼らが抱える夫婦の問題、それぞれの定年、逃れられない病気、死などを通して、若い時とは違う恋のありようを綴ったつもりだ。恋はそれぞれの人生そのものといえよう。 カバー写真は、井の頭公園で昨年の晩秋、私が撮影したもの。井の頭池をめぐるメタセコイアの紅葉。しっとりと落ち着いた美しさがこの本のイメージに合えばと思った。大扉のモノクロ写真は、大田黒公園の茶室横の楓の紅葉。登場人物の息遣いや暮らしぶりを感じ取っていただければと思った。 この十月、私は喜寿を迎える。この短編集をその記念碑としてまとめたかった。紀伊国屋書店新宿本店、三省堂書店神保町本店、丸善丸の内本店など全国の主要書店三十一店舗、並びにアマゾンにも9月26日に初回配本された。「小説新潮」十月号にも、広告を載せた。国会図書館にも一冊、杉並中央図書館にも一冊納本した。 この『夢の夢こそ』が私の人生の読点になるのか、句点として終るのか、今はわからない。わからないほうが、これから先の夢も見られて心楽しいような気がする。