小池真理子の『神よ憐れみたまえ』を読んで
2021年09月05日 [ No.103 ]
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一年続いた小池真理子さんの朝日新聞連載「月夜の森の梟」が、6月26日に終わって、土曜日は「月夜の森の梟」ロスになった読者も多かったのではないだろうか。そこには,三十七年間連れ添った最愛の伴侶、藤田宜永さんを亡くした妻の悲しみが、作家の筆で毎回あますところなく綴られていて、多くの女性達の共感を呼んだ。夫ではなくても親しい人に先立たれた人達には、どれも思い当たることばかりだっただろう。私も、作家、藤田宜永さんというかけがえのない師を突然に失った喪失感に、まだ呆然としていたときでもあった。 その連載の最終回に、十年の歳月をかけた書下ろしの『神よ憐れみたまえ』という長編小説の出版と、八月に行われるトークイベントの案内があった。直木賞受賞作『恋』以来、小池さんの小説のファンでもあった私は、さっそく1100枚、570ページという分厚い本を開いてみた。 新潮社の「波」に寄せた小池さんの文章に、「著者校正の最後の一行を読み終えた直後、膨れ上がった思いの中で身動きができなくなり、嗚咽がこみあげ、滂沱の涙が頬を伝った」とあるほどの、作者にとっても記念すべき作品であったのだろう。 彼女に、この作品の核となるような情景が浮かんだのは2010年ころ。それから十年、幾多のアクシデントに見舞われ、2018年3月末には夫に手術不能ながんが見つかり、書下ろしはもちろん、ほとんどの仕事を中断する覚悟を決めた。だが夫が元気でいられる間に書き上げてしまわないと、この作品が永遠に完成しないであろうことは、明らかだった。 彼女は、夫の看護をしているとき以外のすべての時間を、未完だったこの作品を書くために使った。死に物狂いだった。その時期を逃がしたら、永遠に書き上げることはできないとわかっていたという。それでも1100枚の長大な作品が完成した時は、嬉しさよりも深い安堵だけがあったそうだ。2019年9月末、のことである。 『神よ憐れみたまえ』というタイトルは、小池さんが愛聴する「マタイ受難曲」の美しいアリアから。「これ以上のタイトルはない、と自負している」という。この曲は、彼女の直木賞受賞作『恋』の冒頭の葬儀のシーンでも流されている忘れられない曲である。 この作品は、黒沢百々子という一人の、裕福な家庭の美少女の、六十歳を過ぎるまでの波乱の人生を描いたものである。1963年11月の土曜日、百々子の自宅で両親が殺されるという悲惨な事件が起こった瞬間から、まだ12歳だった彼女の過酷な運命が始まる。その百々子を、家政婦の石川たづ、多吉夫妻、紘一、美佐兄妹が裏表なく支えていく。そして叔父の沼田佐千夫、美村教諭、間宮刑事なども折々登場する。それからは、これからどうなるというストーリーにひかれ、衝撃のラストまでどんどん読み進められた。 同じ土曜日に国鉄の鶴見事故が起き、北九州では三井三池炭鉱の事故が起き、「魔の土曜日」の百々子の悲劇はいっそうたかまる。見事な展開だと思った。 小池さん自身は、この十年余りの間に、両親、夫をはじめ、近しい人たちのいくつもの死や病、深い喪失を通り過ぎてきた。百々子という創作上の人物は、そんな彼女の中で生まれるべくして生まれたと言えるだろう。 だから百々子は、単なる人形のようないたいけな少女ではない。両親の死をひとり雄々しく乗り越え、自らの意志によって自分の歩む道を積極的に切り開いていく、新しい時代の少女として描かれている。百々子は、現在の小池さんにもつながっていくのだ。 この作品を単なる美少女の波乱のラブストーリーや、犯人捜しのミステリーとして読むならば、あまりに錯綜した人間関係に投げ出す読者もいるかもしれない。でも作者がこの作品に『神よ憐れみたまえ』というタイトルをつけ、人間の魂の奥底に潜む情念の深さを描き切ろうという本意にふれたとき、大きな感動に包まれるのではなかろうか。私には、何度でも読み返したい作品であった。 8月13日予定の軽井沢での小池さんのトークイベント「生と死を書く~私の中を流れる時間」は、コロナ禍のために延期となった。友人が応募してくれ、運よくチケットを手に入れることができたのに残念だが、再開の折りには必ず出席したい。思えば、ご夫妻揃っての軽井沢でのトークショウで初めてお二人にお目にかかってから、早くも十九年がたったのだ。