ありがとう、田村正和さん
2021年07月05日 [ No.101 ]
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先日NHKの「あさイチ」で、「推し」の特集をしていた。そこに出てきたのは、横浜流星、町田啓太、坂口健太郎……、ほとんど顔も浮かばない若手俳優ばかりだ。私の若い頃からの「推し」は、田村正和。なかでも、テレビドラマ「ニューヨーク恋物語」(1988年)の田島雅之役は、今でも忘れられない。 その田村正和さんが、4月3日、心不全で亡くなった。七十七歳だった。「眠狂四郎」、「古畑任三郎」、「パパはニュースキャスター」など、話題になったドラマは数多い。訃報に続いて、何本かは再放送され、なつかしく鑑賞した。だが「ニューヨーク恋物語」ほどのめり込んだ作品はなかった。今でも最高だったと思っている。 脚本は、鎌田敏夫。「金曜日の妻たちへ」や「男女7人夏物語」など、当時のヒット作を次々手掛けていた脚本家だ。キャストは、田村さんの相手役に岸本加世子、ほかに若き日の真田広之、柳葉敏郎、桜田淳子など。主題歌は井上陽水の「 リバーサイドホテル」。ニューヨークを舞台に、これらの豪華メンバーで展開されたドラマは、見応えがあった。最近のコミック原作のドラマとはちがう厚みが感じられた。 当時四十四歳の田村さんが演じた田島雅之の甘くニヒルな表情、独特な身のこなし、キザな台詞、要所要所に「リバーサイドホテル」が流れて、毎回うっとり。多彩な恋物語が繰り広げられるが、ラストは、女は男に別れを告げて日本へ帰り、男は、空港から街へと一人イエローキャブを走らせる。安易なハッピーエンドでないところもよかった。 当時、私も四十代。出版社の仕事に追われ、深夜帰宅が多かったが、必ず録画して観ていた。夜の何よりの楽しみだった。癒されもした。今回、初回と最終回の録画が見つかった。古いので画面は荒れて、映像としてはひどかったが、それでも再び感動した。当時の熱い想いが蘇った。永遠の恋人だと思った。もう一度、全巻通して観たくなって、フジテレビのFODに加入し、その後の作品も合わせて観たほどだ。 「ニューヨーク恋物語」の田村さんに魅了されたのは、女性ばかりかと思ったが、そうでもなかったのを知った。社の十歳年下の男性編集者、Sさんも田村さんに心酔していたらしい。FBへの投稿で知った。当時、雑誌「Ray」で柳葉敏郎の連載を担当していた彼は、その連載の取材で、このドラマのニューヨークロケに十日間も同行した。朝は田村さんはじめ、ロケに行く人々を見送り、夜はスタッフたちと飲んで、その日のロケで見た「今日の正和さん」の話を聞いたそうだ。皆にとっても、田村さんは近づきがたい存在だったが、でも最大級の人気者だったという。Sさんは帰国してから、田村さんと同じレインコートを買ったが、着てみたら絶望。「それから三十年、ずっと憧れ、思い出しては背筋を伸ばしていた。もともと遠い存在の神様だったけど、ほんとうに手の届かないところへ行ってしまった」と悼んでいる。 もう一人、当時は高校生だったというヘアデザイナーのKさんも、あのドラマは欠かさず見ていたそうだ。「あんなかっこいい俳優はもういない。セクシーだった」と、子供心にも憧れていたという。田村さんは男性にとっても、そういう存在だったのかと知らされた。 Sさんと違って、私は婦人雑誌の担当だったので、まったく「生(なま)田村」との接点はなかった。ただ一度だけ、何かのドラマの記者発表会に行って、そのあとのパーティー会場で見かけたことがある。誰とも話さず、一人グラスを傾けていた。とても近づける雰囲気ではなかった。 あのドラマ以降、田村さんは年を重ね、ニヒルな二枚目という印象から、コミカルで親しみやすい役も演じ、当たり役となった「古畑任三郎」にたどりつき、俳優としての様々な顔を見せてくれ、楽しませてくれた。すぐれた俳優だったと思う。 訃報を聞いたとき、寂しかったが、友人や知人を亡くした時のような辛い喪失感はなかった。「ニューヨーク恋物語」の「田島雅之」は、今も映像の世界では生きている。あの目で見つめられ、甘い言葉をささやく。永遠の存在だ。私は、田村正和という俳優そのものではなく、「田島雅之」という架空の存在に恋していたのかもしれない。思えば、アラン・ドロンしかり、木村拓哉しかり、豊川悦司しかり、演じた役を、次々好きになったのだろう。 今、週刊誌などでは、田村さんの私生活の謎を解き明かそうと、妻や娘のこと、食事のことなどを書き立てている。でもそんなことはどうでもいい、興味がわかない。 誰にも終わりは来る。私は、俳優「田村正和」という道を立派にまっとうし、静かにその幕を閉じた田村さんに、「ほんとうに、永いことありがとうございました。安らかにお休みください」と、心からお礼を言いたいと思う。