今年の締めくくりは、小説『コロナ黙示録』で。
2020年12月05日
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二〇二〇年一月、豪華クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」船内に端を発した新型コロナウイルスは、すぐ収束すると思いきや、またたくまに感染拡大した。四月には日本全国に緊急事態宣言が発令され、その宣言の解除後も二波、三波が押し寄せて、収束の見通しが立たない。中国武漢に始まったこの新型ウイルスは、いまだに地球規模で猛威を振っている。 そのさなかの七月、世界初の新型コロナウイルス小説『コロナ黙示録』が、作家・海堂尊(たける)の手によって、書き下ろされ、現在も版を重ねている。海堂尊といえば、作家であると同時に医学博士で、その医学知識に裏付けされた作品の数々は、日ごろから愛読していた。特に、『チームバチスタの栄光』を原点とする〈桜宮サーガ〉シリーズは、架空の地方都市桜宮市東城大学医学部付属病院・不定愁訴外来の田口主任、厚労省の白鳥技官、北海道雪見市の救命救急の速水センター長などが活躍する小説で、いずれも楽しめた。 コロナウイルス関連の医学書、実用書は、このところ次々出版されているが、作家・海堂尊はどのような小説を描いたのか。先の見えない感染のさなかで、いかに決着をつけたのか、私は興味津々でページを開いた。 この小説は、一言でいえば、コロナ禍の日本を舞台に、為政者の思惑と医療従事者たちの奮闘、暗躍するメディア関係者と、海堂作品で馴染(なじ)みの面々が、オールスターキャストで登場するエンターテインメントだ。 二〇二〇年、東京オリンピックを控えた日本は、次々に報道される政治の不祥事も何のその、世紀のイベント開催に燃えていた。そこに襲来した新型コロナウイルスは世界中の人々を分断し、生活を一変させていく。 まず、北海道雪見市の救命救急センターに、腕を骨折したバス運転手・伊東が運び込まれるが、体調を崩し、みるみる重症化して死亡する。バスは、武漢からの中国人観光客のツアーだった。その時点では新型コロナウイルスとは判明していないが、彼にかかわった医療従事者たちは、若い大曽根医師はじめ次々発病していく。 一方、横浜に帰港したクルーズ船内で、新型ウイルス感染者が続々発生する。コロナ感染者とそうでない乗客との区分け、ゾーニングがなされないまま、急速に感染が拡大していった。乗客の二人の老婦人も感染。その一人の大山晴美は重症化して死亡、もう一人の保坂貴美子は、治療中だが予断を許さない。この老婦人にクルーズ旅行をプレゼントした孫が、雪見市の速水のもとで看護師を務めている美貴だった。 節分を過ぎた頃、厚労省の白鳥技官の肝いりで、桜之宮市東城大学に新型コロナウイルス対策本部が設置され、田口が委員長を務めることになった。白鳥は「東城大は日本の最終防衛ラインで、新たな防疫を構築し直す城砦になるんだ」と宣言。そしてクルーズ船の感染乗客が、続々移送されてくる。蝦夷大学の感染学研究所の名村教授もやってくる。 緊急のコロナ対策会議で、名村教授は、「まず、この『敵』を打ち破ることは不可能です。ならばどうしたらいいのか。排除が不可能ならば共存しかない。ただ厄介な病原体で共存は難しい。すると人類がシンコロに合わせた社会を作るしかない。我々がここでやることは、そのひな形作りなのです」と叫ぶ。 まもなく雪見市救命救急センターの速水センター長も、ドクタージェットで、救援に駆け付けることになる。センターの重症化した大曾根医師と、看護師美貴を伴って。 入院中の老婦人貴美子と、雪見市から搬送された若き医師大曾根ともに、ECMOを必要としていたが、ECMOは一台。対策本部委員長の田口は、その選択に苦悩する。関係者の中で議論は伯仲し、答えは出ない。その時、厚労省技官の白鳥が奥の手を使って、眠っていたECMOを調達してきて、二人ともがECMOを装着できた。ここがこの小説のクライマックスだ。現実の現場では、こういう命の選択が各所で秘密裏に行われていたことだろう。 そして田口は「新型コロナウイルスの恐ろしさは人のつながりを破壊するところです。接触を断たなければ感染が拡大するなんて、これまでの人類の友愛の基本を叩き壊すようなものです。それは人類が初めて直面したジレンマでしたが、新しいつながりが生まれました。私達は絶望することなく淡々と、コロナに対処していくしかないんだと思います」と感慨を漏らす。 小説は「人々の生活が信じられないくらい大きく変わっても、空は青いし、潮騒は響いている。世界は、何も変わっていないように見えた。どうにも不思議なことだったけれど、ひどく安心もした」という田口のモノローグで結ばれる。 またこの小説には,無為無策の総理官邸や、東京オリンピック開催をめぐる騒動、病院で起きていることなど、現代ニッポンの今も、シニカルに描かれているので、そうした目で読んでいくのもなかなか面白い。 作家・海堂尊にも、読者の私達にも、これから先は不透明だ。でも「WITH CORONA」で、日々、注意深く暮らしていくしかない。いつなんどき、新型コロナウイルスに感染してしまうかもしれないという危険におびえながら。そして、ウイルス予防ワクチンや治療薬の開発を待ちのぞみながら。 小説はフィクションだが、時に、現実以上に真実を鮮やかに映し出す。人間模様を浮き彫りにする。新聞記事やテレビニュース、医学書よりも、説得力がある。私は、海堂尊のいち早い新型コロナウイルスへの取り組みと、小説力に敬意を表したい。今年の締めくくりの一冊は、これだと思った。 小説って、読むのもそして書くのも、ほんとうに面白い。