新型コロナウイルスと、カミュの「ペスト」と
2020年04月05日
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新型コロナウイルスの猛威が、世界中を震撼とさせている。始めのうちは、来週には、来月には終息するだろうと甘く見ていた。外出も控えなかったし、集まりにも参加していた。でもいっこうに衰えず、武漢から、見る見るうちに世界中に拡散した。テレビでは人っ子一人いないパリやローマやニューヨークの現状を見せられ、東京オリンピックやパラリンピックも延期になった。毎日の感染者の数字は、増えるばかり。そして小池東京都知事は「感染爆発の重大局面」だと、危機感を示すに至った。 ここまで来て、私はノーベル賞作家・アルベール・カミュの、一九四七年に発表された小説「ペスト」を思い出さざるを得なかった。この作品は、アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーが鼠の死体をいくつか発見するところから始まる。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストが発生したのだ。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死にペストと闘う市民たち。そこには、人間性を蝕む「不条理」と直面した人間のさまざまなありようや、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験が描かれ、世界中で圧倒的共感を呼んだ長編である。 新型コロナウイルスの発生当初から、小説「ペスト」との共通点を問う人もいたが、今となっては、私もこの作品を読み返さねばならないという気になった。「ペスト」は、私の大学時代の卒業論文のテーマでもあったから。 書棚からカミュ全集を取り出し、ついでにしまってあった卒論も見つけた。そこには拙いながら、一生懸命書いた106枚の原稿用紙が綴じられていた。五十年以上も前の、青臭く、生真面目な内容だったが、今の私にはない熱意で作品とカミュに取り組んでいる。不条理の認識から、不条理に対する反抗へという発展が、言及されていた。私は、手始めにこの自分の卒論から、ペストと新型コロナウイルスとの共通点を探ってみようと思った。 二十二歳の私は、始めに「ペストをナチの軍靴として、現代に於ける戦争として、結局は人間の条件たる死と考える時、遠いアフリカの一都市に発生したペストという今日最も恐ろしく、かつ最も知られていない流行病の物語が、我々自身の物語となって迫ってくるのである」と、書いている。 そして「現代どこへ行っても容易に見られるような町オランに発生したペストは、この小都市をすっかり動顚させる。人々がうちに宿していた裸のままの人間性を暴露する。そして各人は、精一杯彼らなりの方式に従って、ペストと対決する」と続けている。 オランの町では、ペストによって多くの人々が変貌を遂げるが、主人公の医師リウーは、生き方を何も変えない。「ペストと闘う唯一の方法は、誠実さということです。僕の場合には、つまり自分の職務を果たすことだと心得ています」という。そして知る限りの方法でペストと格闘する。リウーの姿勢に、当時の私は学ぶところ多く、感動した。そして今の私も同じ思いである。 卒論は、「人間に至上の意味を認め、あくまで明るい太陽にあふれた生命の立場に踏みとどまっているカミュを高く評価したい」という結論を導き出している。 ところで、二〇二〇年にも、医師リウーはいた。先日、ノーベル賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授が、新型コロナウイルスの情報を個人で発信するホームページを開設したのだ。「IPS細胞も大切だが、目の前にある大きな脅威に、医学研究者として貢献したい」とのこと。さすがだと、感銘した。 アドレスは、http://www.covid19-yamanaka.com ほかにも、医療現場で、黙々とコロナと闘っている医師は少なくないだろう。 新型コロナウイルスとペストとは、病気としては大きく違うが、それに対しての取り組み方、戦い方は、違いがないように思う。自分はかからない、かかっても死なないと思う人も多いようだが、海外の進行状況を見るとそうとは言えない。若者は治療しても、老人までは手が回らないという国もあるようだ。今は、日本がそこまで行くとは思いたくないが、覚悟だけはしておいたほうがいいかもしれない。発生当初は誰もが予想できなかった状況だが、私はいたずらに恐れることなく、といって甘く見ることなく、ひたすら冷静に感染拡大防止に努めるしかないと考える。 このいつまで続くか、先の見えない自粛の時間の中で、私はカミュの「ペスト」を、じっくり再読してみようと思っている。