あの日の自分に会える、同窓会いろいろ
2020年01月05日
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昨年は会社のOB会、女子会、大学のクラス会と、それぞれなつかしい集まりが続いた。今年もまた、高校の同期会、クラス会、女子会が開かれる予定だ。そのほとんどの幹事や世話人を引き受けているが、なんとなくそういうことになってしまった。こういう会にはまったく無関心な人もいるが、私は自分のためにかかわっていると言える。誰彼に会いたいというより、若き日のその頃の自分に会うために、タイムスリップするために、せっせとメールを出し、案内状を送っているのだ。そのうえ、みなさんに喜んでいただけるなら、その手間暇も惜しくはない。 昨年、一番大がかりだったのは、会社のOB会だった。3年に一度ほど開催しているが、社のOB約400名に案内状を出し、出席者は約100名。年下の人より、同僚、年上の先輩のほうがずっと多かった。日程は会社の創業記念日。昨年で創業103年になった。社屋は千代田区駿河台から、文京区関口に移転したので、会場は元社屋に近い学士会舘、お茶の水駅から徒歩圏だ。 幹事長はA氏。60代で、パソコンも細かい事務作業も得意。ほとんど彼一人で仕切ってくれ、私はそのお手伝いをしただけ。次回があっても、私はもう引退と思っていた。その彼が二ケ月後に急逝したのは、悲しみとともにショックだった。彼の後は、同じ60代の人が引き継いでくれるというのでほっとした。 私は、24歳で入社し定年の60歳まで、人生の大半ともいえる36年間を社で過ごした。楽しいことばかりではなかったが、充実した日々であったことはまちがいない。入社当時、厳しく指導してくれた先輩たちが、今なお元気な姿をみると励まされる。仕事盛りの頃、共に過ごした同僚たちと話していると、力がよみがえってくる。タイムスリップは、若返りの秘訣だろう。 大学時代のクラス会は、十数名とずっと小規模だ。当時のクラスメートに、歌舞伎の中村吉右衛門、編集工学の松岡正剛がいた。二人とも中退したが、一時期机を並べていたことがあったと思うと、感慨深い。 大学は、ホームカミングデーと称して、卒業50年までは学校に招待してくれた。その期限が過ぎたころ、自分たちで自主的に集まろうということになった。毎年、同じ日にして、会場は大隈会館のレストラン。十数名の集まりだから、世話役は私の他に3名ほどだ。日にちが決まっていると予定が立てやすいのか、その日には四国から、関西、北陸、近県まで、みんな集まってくる。亡くなった人数名、もう髪は白く、杖持参の人もいるが、最初は誰? と思った人も、話始めるとたちまち20代が蘇ってくる。気分はフランス語を習い始めたあのころ、大学闘争に燃えたころに戻ってしまう。そこには青春時代が存在するのだ。 会社の女子会は、当時編集長も務められた大先輩を囲んで、毎年数名が集まっている。みんな食通だから、会場は美味しい店、新しい店と決めて、食事も楽しむ。小規模だから世話役は私一人だが、OB会とは違って親しく話ができるのが何よりだ。 今年は、2年に一度と決めている高校時代の同期会があるが、例年70名ほどが集まる。8クラスあって、私は自分のいたクラスの担当。各クラスに幹事がいて、それをMさんという幹事長がまとめるというシステムだから、揺るぎがない。会場は高校の近くのレストラン。懐かしいメンバーが集まり、それこそ十代に帰って、きっと盛り上がるだろう。 といったように、私はいくつかの集まりにかかわるようになったが、それぞれまず自分が楽しみながらやっている。どれもいつまで続けられるかわからないが、ことしも健康でまとめ役ができればと思っている。 ◎次ページの写真もご覧ください。