「フェイスブック」の功罪
2019年09月05日
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私が「フェイスブック(FB)」を始めたのは、このホームページの少し前。高校時代の友人が「定年後の楽しみにいいよ」と勧めてくれたから。「SNSはいろいろあるけれど、FBは本名を使うから、比較的安全だ。公開する友人も限定できるし」ということだった。それならと、深い考えもなく入会してみた。だが顔写真とカバー写真はアップしたけれど、あとはどうしていいかわからず、そのままにしていた。 その後、『繭の部屋』という短編小説集を自費出版したので、その宣伝に利用してみようかと、やっと本気になった。当初は手探りだったが、FBの先輩たちが、親切に手取り足取り教えてくれた。おかげで六年目になるが、ほぼ自由に利用できるようになり、楽しんでいる。 私にとってFBの第一の効用は、暮しに前向きになったことだろう。季節の花々を散歩道に探し、公園や映画館、美術館にも足を運ぶ。新しいお店が出来れば行ってみる。旧暦の二十四節気にも敏感になった。もちろん自分自身の好奇心から出発しているのだが、それがFBの投稿にも、このHPの材料にもなる。しいては、句材にも、小説のヒントにもなる。「見て、聞いて」の不特定多数の相手ができたのだ。 毎日ではないが、自分が見聞きしたことをFBにアップすると、反応してくれる人がいるのはうれしい。面白いテーマを投稿した時は、「友達」の「いいね!」が増えるし(といっても10数人だが)、その人らしいコメントも書き込んでもらえる。 もちろん、FBから新情報を得ることも多い。植物の名前をずいぶん教えてもらったし、写真の撮り方のアドバイスがあったり。植物観察会や地元の散歩会に参加するきっかけにもなった。 第二の効用は、自分の絵日記ならぬ、写真日記をつけ続けられていること。当初は写真も超下手で、椿山荘のお庭で撮った山茶花のボケボケの写真を投稿したが、そんなものにも何人かの「友達」が「いいね!」をしてくれて、驚いたものだ。おかげで最近は、写真の腕も素人ながら多少上達して、ピンの合った、構図も工夫したものをアップできるようになった。習うより慣れろとはよく言ったものだ。 また「facebook での過去の思い出」と称して、FBが過去の同じ日付に投稿した写真とコメントを、再度、私に知らせてくれる。あの日はこんな花が咲いていた、こんなものを食べたと振り返ることができる。連用日記のようなもので、なかかいいシステムだ。 第三の効用は、FB「友達」ができたこと。自分からリクエストして「友達」になってもらった人、「友達」リクエストが来て承認した人を含めて、出入りはあるが、現在約70人の「友達」がいる。マナーとして「友達」が投稿したものには、「いいね!」を押したり、コメントを書き込むことにしているので、多すぎては手が回らないからほどほどの人数だ。 「友達」の内訳としては、会社や仕事がらみの人が約30人、学生時代の人が約5人、趣味の小説、俳句がらみの人が約15人、散歩会はじめ地元で知り合いになった人が約10人、親戚その他で約10人だ。 会社関係が半数いるが、仕事時代は知らなかった顔を見せてくれる。顔見知りがほとんどだから、今のところトラブルはない。 地域としては、北海道から、九州、関西、北陸、フランスに及ぶから、各地の天候、行事、花便りなどが楽しめる。 最近読んだ「55歳からの時間管理術」(齋藤孝著、NHK出版新書刊)という本の中に、「『旧友』はもちろん大事ですが、『新友』も大事だと思っています。『新友』とは新たに出会って親しくなる人のことです」とあった。 旧友に加えて、定年後は、趣味の友人が増えたし、地元の知り合いも多くなった。「新友」達だ。FB「友達」も、「新友」だが、コアな人たちとは毎日のように情報交換している。風邪をひいてFBをしばらくお休みしたときは、「どうしたの?」というコメントも入った。そういう「新友」がいてくれるということは、心強い。ただ、あくまでFBの「友達」は、FB上だけというのをルールにしている。 ところで、FBはSNSの中では比較的安全とは言え、思いがけない落とし穴があるかもしれない。個人情報流出の心配もある。だから、誰にでもおすすめとは言えない。FBに加入していても、見るだけの人も少なくない。それでもいいと思っている。この「日々」で、私のFB体験を一度お知らせしたいと思っただけだから。