「健康寿命」の年を迎えて思うこと
2018年10月05日
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今月は、私の誕生月だ。この誕生日は、これまでの誕生日とは、大きく違う。百歳時代と騒がれてはいるが、2016年、厚労省は、介護を受けたり寝たきりになったりせず日常生活を送れる「健康寿命」は、男性72.14歳、女性74.79歳と公表している。つまりその「健康寿命」に達したということだから。 2018年、厚労省が公開した日本人の「 平均寿命」は、男性81.09歳、女性87.26歳という。私自身は、ベッドで長生きしたいとは思わないから、百歳より平均寿命より、気になるのは「健康寿命」だけだ。 私だって年には勝てない。幸い十五年前のがんの再発、転移はないが、最近になって、いくつか老化のサインが現れた。視力が弱り、眼鏡を二つ持つようになったし、脚力も階段を上り下りするとき、膝裏に痛みが走る。そして思いがけない「めまい」。いよいよ脳梗塞か脳出血かと動揺して、病院へ走った。CT検査の結果、耳鼻科の診断で、病名は「良性突発性頭位めまい症」。生死にはかかわらないということで、運動療法を勧められ、まもなく気にならなくなった。 今のところ、なんとか今までどおりの日常生活を送れているが、それも時間の問題かもしれない。でも生きている限り、「健康寿命」を、少しでも維持したいと思っている。 そんな時、頼りになるのは、先達の生き方だ。その手の本は手当たり次第読んでみたが、男性では、作家の五木寛之氏の著書に多くを学ばせてもらった。若い頃は、「さらばモスクワ愚連隊」、「青春の門」などの青春小説を、胸ときめかせて読んだものだ。その後の「親鸞」などにも感銘を受けた。その五木氏も、1932年生まれだから、今や八十六歳。私より一回り年上だが、五木氏が示す、人生後半の生き方は納得がいく。 五木氏は、百歳人生を考える場合、中国の陰陽五行説に基づいて、「白秋」と「玄冬」に当たる五十歳からの生き方を問題とする。五十歳に達すれば、人はおのずと自分の限界が見えてきて、体力の衰えも感じるようになる。だから、次のような区切り方を提案する。 五十代の事はじめ=人生後半の下山の人生を生き抜く覚悟をする時期。六十代の再起動=これまでの生き方、生活をリセットする時期。七十代の黄金期=下山の途中の平たんな丘のような場所を十分楽しむ時期。八十代の自分ファースト=社会的なしがらみから身を引き、自分の思いに忠実に生きる時期。九十代の妄想のすすめ=体は不自由になっても、これまでに培った想像力で、時空を超えた楽しみに浸る時期。以上が、五木氏の思い描く人生後半五十年の下山の心構えだ。 五木氏自身ですら、六十代半ばで車の運転をやめた。その頃、日常生活でも、段差に躓いたり、物忘れが頻発するようになり、老いが着実に自分の上に影を落とし始めた。それを認め、あきらめることに徹しようと心に決めた時期から、自分の後半戦が始まったというのだ。 この9月からは朝日新聞で「人生の贈りもの」という連載も開始。後半戦とはいえ、執筆ばかりでなく、BS朝日の「五木寛之の百寺巡礼」という、全国各地の寺院を巡りながら、日本人の原風景・原点とは何かを見つめ直すという番組に、今なおダンディな姿を見せている。 女性作家では、曽野綾子氏の最近続々出版されているエッセイに、共感を抱いた。曽野氏は、1931年生まれだから、八十七歳。おしどり夫婦といわれていた三浦朱門氏は、晩年妻の介護を受け、2017年2月、九十一歳で逝去。その前後の曽野氏のエッセイは、特に老年を生きていくうえで、示唆に富むものが多かった。 「老いの冒険」では、「お爺さんは山へ芝刈に、お婆さんは川へ洗濯に」という桃太郎の物語の書き出しが引用され、何歳になっても働く、慎ましい老人像を説く。そして老年は自分で毎日をデザインできるのだから、おおいに冒険すればいいと、自分流老いの境地を楽しむ法が描かれている。 「身辺整理、わたしのやり方」では、老年だからできる徹底した身辺整理のノウハウが、十章にわたって展開されている。 曽野氏自身は、夫亡きあとも、持病を抱えながら、続々出版活動を続け、国内外の旅行にもでかけているようだ。 五木氏が、曽野氏が、八十代半ばで、現役で活躍している秘訣は、「書くこと」を仕事にしているからではないか。「書くこと」自体が生きるエネルギーなっているのだと思う。私など、大作家の前では足もとにも及ばないが、書いていると楽しいし、時間を忘れる。いつまでパソコンを叩けるかわからないが、生きている限り自分のために書き続けたいと思っている。