私が「PHOTO俳句」を始めた理由
2017年07月05日
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何度も同じことを書くようだが、「PHOTO俳句」は、誰から習ったものでもない。専門的に勉強したものでもない。俳句は、定年後、「童子」という俳句の会に入り、指導を受けているが、写真の技術は、それこそ記念写真レベル。普通のデジカメで撮っている。 まだまだの俳句も、写真が添えられると、新しい世界が生まれるようだ。私は、俳句そのものと、「PHOTO俳句」は、ちょっと違うように思うのだ。 私が「PHOTO俳句」を思いついたのは、このホームページの巻頭に、季節感のある写真と俳句をコラボさせたらどうだろうかと考えたのが、きっかけ。今のところ、テーマは四季の花々と鳥に絞っている。花は動かないけれど、飛ぶ鳥を撮るのは難しいから、花の写真がほとんどだ。 始めは、自分の詠んだ俳句に合う花を探して、写真を撮っていた。そのうち、近所を歩き回って植物の写真を撮り始めたら、撮った写真を見ながら、あとで俳句を詠むように変わった。ただ俳句を補うような説明写真は撮りたくなかったし、写真を説明する俳句も詠みたくなかった。あくまで、両者のコラボから生まれる世界を大事にしたかった。 写真は、植物図鑑のためではない。だから植物そのもののアップだけでなく、その香り、その手触り、日の光、風の流れ、雨の音まで感じられるような、物語のある写真を撮ろう、そのイメージから生まれた俳句を詠もうと、身の程知らずの高望みをした。毎日のように撮っているせいか、写真技術のほうは、無手勝流だが多少は進歩したような気がする。 「PHOTO俳句」のためには、花や鳥の名前を覚えるのも重要だ。それまでは無知に等しかった私が、近所の花なら半分位分かるようになったのは、元「園芸ガイド」の編集長のNさんはじめ、角川庭園のYさん、各公園の方々のご協力の賜物だ。 四年目を過ぎると、近所なら、その花の蕾の頃から、見頃、そして実のなる頃まで、追いかけられるようになった。でも花は、時間にも天候にも左右される。風が吹けばピントが合わないし、快晴だと明暗が付き過ぎるし、雨が降れば雨粒が目立つ。いちおう花日記はつけているが、毎年、季節よって開花は変化するから、日記通りにはいかない。遠方は一発勝負だが、近所は何回か再撮に通うことも多くなった。 写真俳句で話題になっているのが、TBS系の「プレバト俳句ランキング」。お題の写真に合わせて、タレント達が俳句を詠み、俳人の夏井いつき先生が、容赦ない批評をするという番組だ。これで、俳句に興味を持つ人が急増したという。 俳句専門誌でも、写真俳句のコーナーを設けている雑誌がある。写真俳句そのものを募集している雑誌(私もこれには応募し、過去何回か優秀賞をいただいた)、プレバトと同様に、最初に誌面で写真を提示し、これに沿った俳句を募集する雑誌もある。写真俳句専門の書籍もあるようだが、これについては、不勉強な私は一冊も読んでいない。 ただ「PHOTO俳句」を始めたら、俳句の吟行はじめ、各種の植物観察会、散歩会など、外歩きに積極的に参加するようになった。色々なものに、関心も向く。夏は帽子を被り、飲み水持参、冬はダウンジャケットを着こんで、一回に付き、七、八千歩は歩く。「PHOTO俳句」は、私の現在の健康づくりの源にもなっているようだ。