我が家からパソコンが消えた日
2016年03月01日
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今年になってすぐ、パソコンの電源を入れても、起動しないということが、二度、続いた。パソコンは、わがままで、いつもなかなかいうことをきいてくれない。でも、今回ばかりは様子が違う。書きかけの原稿があり、住所録があり、写真があり、医療費控除の控えがあり、私の何もかもがこのパソコンに保存されている。それらが消えてしまってはたいへんと、すぐすべてのデータをUSBメモリーに記憶させ、プロを呼んだ。 プロは時間をかけて点検してくれたが、「どこも悪いところがない、ということは基盤に問題が生じたとしか考えられません」という。基盤とはその字のとおり、パソコンそのもの、修理しても新品同様の費用がかかるそうだ。「この際、新しいものに買い替えてはどうか」とのアドバイスだった。 私のパソコン「ウインドウズ7」は、このホームページを立ち上げたとき、買ったばかり。三年しか使っていない。買った当時は「ウインドウズ8」の最盛期で、「とても私の手に負えないと思った。姪がそのひとつ前のタイプの、「セブン」を探してきて、設定してくれた。それで、「XP」から二日ほどでなんとか切り替えられた。小説を書き、エッセイを書き、俳誌の原稿を書き、メールをし、ネット検索もし、写真も取り込み、いつのまにか私の手足となった。朝に電源を入れ、昼に夜に、寝るまで使っていた。旅行にも持って行った。まるで、恋人か、ペットのような、かけがえのない存在になっていた。 それが、今年になっての思いがけないアクシデント。私は「ビックカメラ」の店頭に行ってみた。新モデル「ウインドウズ10」の説明を受けたが、仕組みは「セブン」に似ていて、思ったより使いやすそうだ。「これにしよう、これを使いこなせなければ、明日は開けない」と決心した。 「セブン」がダウンする前に、すべてのデータを「テン」に移行し、私がすぐ使えるように設定してもらうことにした。 まる一日かかるというので、「セブン」を店に一泊させた。現役時代はもちろん、退職後もパソコンを開けない日は一日もなかった。デスクの上からパソコンが消えたその日、私は世界から切り離されたような心もとない気がした。でも意外と自由でのんびりした時間も生まれた。新聞を読み、テレビをゆっくり見た。ただそんなアナログ生活も一日限りだった。 翌日の午前中、パソコンを受け取りに行った。その場で、詳しい説明も受けた。加えて専門スタッフに電話で相談でき、リモート接続サポートもしてくれるという「らくらくオンラインサポート」にも入会した。「セブン」は修理せず、ダウンするまでそばに置くことにした。 パソコン歴は長いのだから、何とかなるだろうと思ったのが大間違い。「テン」をデスクにセットし、キーボードを操作してみたら、わからないことばかり。翌日からまたパソコン持参で「ビックカメラ」に駆け込んだり、電話相談も繰り返した。すべてOKと思ったら、最初に設定してもらったメールの画面がこわれたり、取り込んだ写真がどこかへ消えてしまったり、ドキドキはらはら状態が続いた。 その渦中で、締め切り近い小説の課題を仕上げ、俳句雑誌の原稿整理をし、こうしてホームページの原稿も書いている。フェイスブックにも復帰した。右往左往しながらも、だんだんこの「テン」も、自分のものになってくるのだろう。 でも今回思ったのは、以前と比べて、パソコンのサポート体制がしっかり整っていたこと。「セブン」に替えた当時は、甥や姪、友人などに聞きまくり、迷惑をかけたが、今回の相談相手はプロばかり。だから、私がわかるまでとことんつきあってくれる。会費は必要だが、余計な気を遣わずにすむ。時代は、スマホやタブレットに移行しつつあるが、私はもうしばらく、このパソコンとガラケーで行こうと思っている。 友人に、固定電話しか使わないという人がいる。パソコンはもちろん携帯電話さえ持たない。私はクラス会の幹事をすることが多いが、その連絡に、彼女だけには何度か電話をかけなくてはならない。ほかの友人たちとは、全部メールのやりとりだけですむので、正直、「面倒だな」と思うこともあった。 でもたった一日だけれど、パソコンのない暮らしを経験してみて、そういう生き方もありかと、初めて気が付いた。パソコンや携帯がなければ、メールなどに煩わされず、自由に自分の時間が使える。彼女は私と同じく一人暮らしだが、新聞を三紙取っている。語学の勉強もし、夏には長い海外旅行をするとか、第二の人生を実にゆったりと過ごしている。 退職後も、私は「ものかき」を自称しているので、パソコンは手放せない。最近はゆっくり新聞を読む時間もなくなっていた。いつのまにか、パソコン依存症になっていたのかもしれない。私も今回のできごとを機に、休肝日ならぬ、休パソコン日や、休パソコン時間を作って、少しはのんびり暮らしてみようかと思っている。