続けていきたい年賀状のしきたり
2016年02月01日
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毎年十月三十日に、新年の年賀状が発売される。まさかその日には買いに行かないが、「さて」と、気持ちが引き締まる。まず名簿だが、私は、パソコンで住所録原簿というのを作っている。中学時代の友人に始まって、高校時代、大学時代、会社時代、親戚関連、生活関連、趣味関連に分類してあり、移転の知らせや訃報が届くと、その都度訂正を入れる。そして年賀状を出す時点で、出すかたを決め、新年度の年賀状用名簿を作る。ほぼ百五十名くらいのかたに出している。 宛名面は、最初は手書き、次はラベル印刷、そして去年からはがきに直接印刷することができるようになったので、パソコンとプリンターに頼っている。 文面は、オール印刷というかたもいる。そんなかたにはもう出さなくてもいいかなと思う。逆に全部手書きというかたもいらっしゃる。今年から、毛筆にしたというかたさえいらして、頭が下がるが、真似はできない。 私はずっとパソコンで書いているが、最近は自分で撮った写真を取り込めるようになったので、あれこれ工夫して楽しんでいる。年賀状は私のパソコン力のバロメーターともいえよう。でもパソコンオンリーでは味気ないので、必ず手書き部分を残しておき、出すかたに合わせて、通りいっぺんでない一文を書き添えるよう心がけている。 いただいた年賀状に、いまシルバー人材センターでボランティアをしているとか、農村生活を楽しんでいるとか、終活で都心に引っ越すとか、同世代の友人たちが前向きに暮らしている姿が書かれていると、読んでいるだけでそのパワーがもらえるような気がする。 家族写真や、自分の近影が入ったものも増えてきたが、そのかたの近況が覗えて、心楽しい。四人いる甥や姪たちは、全部子供がいるので、普段なかなか会えない子供たちの顔を見、成長を知る何よりの機会だ。 ところで最近は年末が近づくと、喪中欠礼状が増えてきた。ご高齢のご両親を看取ったというお知らせには、お悔やみ申し上げるしかないが、還暦早々、ご主人や奥様を亡くされたという突然のお知らせは辛い。まさかと思う。 先日の喪中欠礼は、若い頃、競い合うように仕事をしていた男性の奥様からだったので、思わず電話してしまった。永年会うこともなく、年賀状だけのおつきあいだった。すい臓がんを手術して、半年もたたないのに亡くなったということだ。電話を切ってから、去年の年賀状を取り出してみたら、いつもと変わらぬ筆致で、大病をしたが元気になったと書き添えられていた。「私より若かったのに」と、心が痛んだ。 今まで喪中欠礼をいただくと、ただ年賀状リストからはずすだけだったが、そんなことがあって、今年から親しいかたには、「寒中見舞い」をお出しすることにした。今年の寒の入りは、小寒の一月六日。その日から二月四日の立春までの寒の内に出せばいい。介護の日々の慰めや、故人の思い出などにふれた便りが届けば、多少とも先方の心がやすらぐのではないだろうか。 メール時代になり、虚礼廃止と言う声もあって、年賀状は年々減って行く傾向にあるという。退職と同時に、きっぱりやめたという人もいる。でも私は、年を重ねるに連れ、年に一度くらい、互いの近況を伝え、無事を確認するというこのしきたりを、たいせつにしていきたいと思う。お年玉年賀はがきの当選を待って、年賀状は片付けた。住所録はまた来年のために整えておくつもりだ。