花の追っかけを始めて、早や二年
2016年01月01日
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あのお宅の椿はまだ咲いているだろうか、あそこのお庭の白梅の蕾はふくらんだろうか。朝ごはんを食べながら、私の胸はもうときめき始める。早く見に行きたい、確かめたいと、手早く食卓を片付けて、スニーカーを履き、小さなバッグを手に家を出る。バッグの中には、いつもデジカメと句帳を入れている。寒い頃はマフラー、手袋、暑い頃は帽子も欠かせない。花散歩で、病気になるなんていただけないから。 私は、都会の小さなマンション暮らし。花は好きだったが、庭があるわけでなし、花を育てる広いベランダがあるわけでなし。ガーデニングは最初からあきらめていた。 定年を迎え、近所をぶらぶら散歩するようになって、ふと眼に止まったのが、通りすがりのお宅の庭や玄関や道端の花々。うちの周りはごく一般的な住宅街だが、どのお宅も花づくりには熱心で、季節の移ろいに合わせて、庭木も、お庭の花も、咲くものが変わって行く。「これは面白い」と、花につられてどんどん遠くまで足を伸ばすようになった。横道にそれると、これまた新しい花に出会える。そのまた先へと、私の花散歩はきりがなくなってきた。 また、近所にはいくつか庭園がある。徒歩五分のところにあるのが、音楽家・大田黒元雄氏の旧宅「大田黒公園」。中央の池を巡る回遊式日本庭園で、大木が茂り、初夏には新緑、初冬には紅葉が美しい。季節の花々も次々咲く。 徒歩十五分のところには、角川書店を創設し俳人でもあった角川源義氏の旧宅、角川庭園がある。ここは武蔵野の自然を残したいという源義氏の趣旨のもとに、俳味のある樹木や山野草が、四季折々目を楽しませてくれる。春や秋の七草はじめ、浦島草、南蛮煙管など珍しい花も見つかる。 この二つのお庭のほかにも、徒歩圏内に、読書の森公園、松渓公園、近衛文麿氏の旧宅・荻外荘公園などの公園が点在していることを知った。いずれも入園料は無料だから、いつでも、何度でも気楽に花を見に行ける。 加えて趣味の俳句の吟行では、東京近辺を毎月歩く。今まで知らなかった木の花や、いわゆる雑草にも目が向くようになってきた。俳句の先輩は植物にも詳しい。現場で花を教えていただけるのもありがたかった。 そのうち、見ているだけではつまらなくなって、一つ一つの花の名前をどうしても知りたくなった。そのお宅の方に直接伺ったり、庭園で名札がついていれば書きとめる。家へ帰って、写真をもとに植物図鑑で調べたり、ネットで検索したり。それでもわからないときは、園芸雑誌歴十年という友人のNさんに写真を送って、SOS。Nさんのご協力のおかげで、花の知識はずいぶん増え、自分なりの「花日記」も付け始めた。でも去年も同じ道を歩いていていたのに、まだまだ知らない花が顔を出す。花は何万種もあるというから、花散歩に終わりはないのかもしれない。 そのようにして、私の花の追っかけは早や丸二年を迎える。せっかく覚えた花の名前、撮りためた花の写真を、独り占めしているのが、もったいなくなってきた。 そこで花の写真はまず「フェースブック」にアップして、五十人ほどいる「友達」といっしょに楽しむことにした。「家の周りでも見つけた」に始まって、「こちらでは桜が開花した」「もう紅葉が始まった」とか、各地からFBならではの写真とコメントが寄せられる。次は厳選して、自分のホームページのフォト俳句に掲載する。写真が先のこともあれば、俳句ができてからその花を撮りに行くこともある。下手な俳句を写真でカバーすべく、写真の撮り方も工夫を重ねた。 小説は描写の部分に、花を取り入れるようにした。さりげなく季節感を表現することができるので、多少は作品にふくらみが出せるようになったかもしれない。花は、俳句の季語。日頃の俳句も、花を詠むことが多くなった。 そのうえ、寒い日も暑い日も雨の日も、花を求めて毎日のように歩き続けたら、前より健康になった。昨年の健診では体重は変わらず、なんと腹囲が8㎝も減った。軽い気持ちで始めた花散歩、こんなにもメリットがあるとは想定外だった。 これからの季節は、梅見に始まって、桜が待ち遠しい。そのうちあちこちに春の花が咲き始めるだろう。花散歩がいっきょに忙しくなって来そうだ。最近は、そばを通ると花のほうから「見て、見て」と、呼びかけてくるような気がする。私も、花の名を一つ一つ、呼んであげるようにしている。