永遠の恋人、アラン・ドロンの映画祭
2015年12月01日
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第28回東京国際映画祭提携企画として、アラン・ドロン特集が組まれた。生誕八十年を記念しての映画祭だ。飯田橋のアンスティチュ・フランセ東京で、10月23日から11月5日まで、代表作八作品が上映された。あのアラン・ドロンも、この11月8日で、八十歳。現在、映画界は引退したが、2004年くらいまでは、フランスのテレビドラマなどに顔をだしていたという。 アラン・ドロンの初期の映画では、「太陽がいっぱい」(1960年)が忘れられない。貧しい青年が、裕福な友人を殺し、彼の財産も恋人も奪うが…というストーリー。実際に私が観たのは、大学に入学してからだったと思う。十八歳頃だ。私は一目見てアラン・ドロンに魅了された。ニーノ・ロータのあの甘く悲しい音楽と共に、彼の青い瞳が目に焼き付いた。キャンパスの男子学生には目もくれず、私は少ない小遣いをはたいて、「太陽は一人ぼっち」(1962年)、「地下室のメロディー」(1963年)、「危険がいっぱい」(1964年)、「サムライ」(1967年)など、彼の映画ばかりを追い求めた。写真集も買った。部屋にはポスターまで貼っていた。 出版社に就職してからも熱は冷めず、会社の同僚たちもそれを知っていて、新潟のきものショーにエスコート役で彼が出演するという情報と共に、取材のチャンスを譲ってくれた。アラン・ドロンが着物のモデルたちといっしょに舞台に登場すると、全身からオーラが発散され、私は恍惚としてしまった。ショーのあとの記者会見では、「日本の第一印象は? 日本女性のきもの姿をどう思うか?」など、恐れ気もなく質問を投げかけた。彼は、通訳の方ばかり向いていて、私を一回も見てくれなかった。 私が一番好きな映画は、「サムライ」。二十代のアラン・ドロンは、眼をぎらぎらさせ、たくましいボディで貪欲にせまってきたが、三十代に入ったこの頃は、そのぎらぎらが翳りに変わって、渋い大人の男の魅力を発散させていた。無口で、小鳥だけを相手にアパルトマン暮らしをしている、一匹狼の暗殺者。侍を思わせた。ピストルで撃たれるラストシーンは、おさえた演技だけに涙を誘われた。 そして、最後に観たのは「カサノヴァ最後の恋」(1992年)。アラン・ドロンが五十代に差し掛かった頃の映画だ。目鼻立ちがはっきりしている人は、老いが早い。特に外国人は、ジャンヌ・モローにしろ、アヌク・エーメにしろ、昔の美貌が見る影もなくなっている。当時の彼はそれほどでもなかったが、でも老いが匂った。希代の色事師として名を残すカサノヴァの晩年の恋を描く映画。若い頃はもてはやされた男が、若い女にこけにされるというストーリーだったが、役にはまりすぎて、もう見たくないという気持ちになった。 今は、テレビの名画座などで、1960年代、1970年代のアラン・ドロンの映画を観ることはあるが、「カサノヴァ」以降の作品は一作も観ていない。 今回、行った彼の映画祭では、昔見落としていた「黒いチューリプ」(1964年)を観たが、客席は空席が目立った。観客も若い人は少ない。彼の名を言っても知らない人が増えている。その昔、一世を風靡した映画スター、アラン・ドロンも、過去の人になってしまったのだろう。ちょっとさびしい気がした。現在八十歳の彼がどうしているのか、知りたいような、知りたくないような気もする。