主婦の友社は、この秋、創業九十九周年!
2015年09月01日
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私が三十六年勤めた出版社主婦の友社は、大正五年九月十八日、石川武美によって創業された。この九月で九十九周年、来年は百周年という節目を迎える。 創業の翌年、大正六年二月十四日には、「家庭の幸福と婦人の地位の向上」を理念とする婦人雑誌「主婦之友」が創刊された。当時は、上流の女性を対象とした「婦人画報」、「婦人之友」、「婦人公論」などの女性誌がマーケットを競うなか、大正時代に急増した中流の女性たち、「主婦」をターゲットとしたことが功を奏し、「主婦の友」は昭和初期には百万部を超えるという日本一の国民的雑誌となっていくのだ。 今のきびしい出版界を思うに、創刊当時の石川武美の時代を見る目の鋭さ、的確さは、驚くほかない。 私は私大の仏文科を昭和四十二年に卒業し、就職は文芸出版社を目指していたが、当時は学園闘争の渦中で、特に女子学生には門戸が閉ざされていた。とりあえず小さな出版社に勤め、昭和四十三年、新聞広告で見つけた主婦の友社に応募し、なんとか中途入社できたのだ。 入社早々、私は雑誌「主婦の友」の生活課に配属された。料理も家事も母親まかせだった青臭い文学少女には、婦人雑誌は未知の世界だった。当初はきっと足手まといの新人だったと思う。それでも先輩たちの厳しい指導のもとに、経験を積み、一人前の編集者、記者になるのに何年かかったろうか。 本命だった文学の分野で働くより、婦人雑誌作りは、辛くても仕事と割り切れた。最初は給料のためにやっていたはずなのに、年を重ねるごとに、雑誌作りにも、記事内容にも興味がわいた。これはいい花嫁修業になるとも思った。残念ながら花嫁にはなれなかったが、生活課デスクとなり、副編集長となった。その頃から雑誌「主婦の友」は、私のかけがえのない世界となった。新年号の拡売には、販売の方々と、関西から北海道まで営業活動に回ったこともある。 それから人事異動で、十八年携わった「主婦の友」編集部から、インテリア誌「プラスワン」、住宅誌「はじめての家づくりBOOK」、出版部と、定年まで担当は変わったが、どの部署も新鮮で面白かった。仕事が血となり肉となって、私は主婦の友社に育てられてきたと思う。両親や学校で教えられたことより、雑誌作りの中で、各界の先生方や読者の方々に学んだことの方がずっと多かったような気がする。 ちなみに雑誌「主婦の友」は、私が定年退職した四年後の、平成二十年、創刊以来、九十一年の幕を閉じて休刊となった。「時代の空気も、女性の意識も、九十一年の間に大きく変化しましたが、それぞれの時代で、みなさまの暮らしのお役に立てたのではないかと自負しております」というのが、最後の編集長の弁。雑誌は、時代に合わせて変えていかねばならないし、時には休刊もやむをえないだろう。でもこの雑誌に携わった人々は、誰でも一抹の寂しさを感じたにちがいない。 現役時代、本作りに百%力を出し切ったという満足感があったので、私は定年退職してからは仕事に未練はなかった。それまで読者のために記事を書いて来たので、これからは自分のために、書きたいものを書いてみたいと思った。学生時代、作家志望だったこともあって、第二の人生は「モノカキ」をめざすことにした。モノカキと言っても、たいそうなものではなく、このホームページもフェースブックもその一環だ。今回、小説「夢の夢こそ」が「さばえ近松文学賞」最優秀賞を受賞。少しずつでも結果が出て来るととてもうれしい。 モノカキを始めてみたら、史実に当たる機会も多く、退職時さっさと処分してしまった「主婦の友社の八十年」がいかに貴重な資料だったかということに気付かされた。非売品だったから、Amazonでも手に入らない。そこで先日、そのセットをネットオークションで落札して、入手した。あらためて見直すと、そこには主婦の友社創業当時からの記録が、余すことなく綴られていた。貴重な出版記録であり、ある意味、出版界からみた大正、昭和史でもあった。 主婦の友社社屋は平成二十五年、駿河台から江戸川橋に移転した。永年に渡って「主婦の友」を創り続けた駿河台の地には、今、石川武美記念図書館がある。雑誌「主婦の友」を始め、各社の婦人雑誌が創刊号からそろっている貴重な図書館だ。ここにも、大正、昭和史が詰まっている。 私は、主婦の友社創業九十九年のうち、わずか三十六年しか、そこに席をおいていない。でも私にとっては、忘れることのできない年月だったし、今の私の拠り所ともなっている日々だった。これから、「八十年史」で自分の歩んできた道のりをもう一度辿ってみよう。記念図書館で、過去の「主婦の友」の実物にもあたってもみよう。そしていたずらに思い出に浸ることなく、モノカキとしていつかなんらかの形で、その時代のことを綴ってみたいと思っている。