脚本家・北川悦吏子さんと「友達」になって
2015年08月01日
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「友達」になったと言っても、お目にかかったことも、お話ししたこともない。私が参加している「facebook」に、昨年十月、突如登場された。あのあこがれの脚本家、北川さんと知り合えればと、早速「友達リクエスト」をだしたら、思いがけなく「承認」のお返事が来たのだ。「友達」は最初少なかったけれど、風船のように急激にふくらんで、今ではもう六百人を超えている。私が「いいね!」をしても、コメントを書いても、個人的なお返事はない。 でも「facebook」には、毎日のようにいかにも北川さんらしいきらきらとしたコメントと、お嬢さんのあさぎ空豆さんの写真のコラボがアップされている。仲間内だけで見ているのはもったいないと思っていたら、先月『恋をしていた。』という写真詩集にまとめられ、出版された。早速、買ってしまった。どのページにも、たとえば「また連絡するよ、の嘘。」とか、「日曜日のあなたを知らない。」とか、それだけで、ドラマのタイトルや台詞になるような詩と、イメージ写真が載っている。だからページを開くたびに、どきどきしてしまう。 私が北川さんのファンになったのは、伝説のトレンディードラマ、キムタクと山口智子がタッグを組んだ「ロングバケーション」(96年)から。二人の息の合ったテンポの速い会話にすっかり引き込まれた。もちろんその前の「素顔のままで」(92年)や、「あすなろ白書」(93年)も観ていた。「ロンバケ」に続く、トヨエツと常盤貴子の「愛していると言ってくれ」(95年)、キムタクと常盤貴子の「ビューティフルライフ」(00年)などは、全部ビデオに録って、仕事が終わった深夜、食い入るように観たものだ。 「ビューティフルライフ」の最終回視聴率41.3%は、その後、13年に「半沢直樹」に塗り替えられるまで、平成に入ってからの民放ドラマの記録になっていたそうだ。北川さんは同ドラマで向田邦子賞、橋田賞をダブル受賞した。 その後も、 “恋愛の神様”とも言われる北川さんは、ドラマを書き続けている。最新作は、谷原章介と和久井映見の「月に行く舟」(14年)。この作品は、盲目のアラフォーの独身女性が主人公。岐阜県の小さな駅で偶然出会った男女が、列車を待つ数時間に織りなす、繊細なラブストーリーだ。そして、アメリカ国際フィルム・ビデオ祭、エンターテインメント部門の金賞をみごと受賞した(15年)。 でも、北川さんのドラマには、この主人公のように、どちらかがハンディーキャップを持つケースが多いことが気になっていた。たまたま、「AERA」で、北川さん(53歳)が、15年以上にわたって難病に苦しんでいたことを病名と共に告白した記事を読んで、その謎が解けたような気がする。 北川さんは、もともと腎臓に持病があり、医師から「子どもは産めない」と言われていたが、93年に結婚、97年に思いがけず妊娠して、娘を出産。その娘さんも、今は18歳になる。 だが99年の夏、人間ドックで大腸などの粘膜に慢性の炎症や潰瘍が起こる病気が見つかり、闘病生活が始まった。病名は、10万人に1人ともいわれる「炎症性腸疾患」。仕事のかたわら、何度も入退院を繰り返し、苦しみ続けた。あらゆる治療法を試したが治癒には至らず、10年に大腸全摘のオペをして、やっと症状が落ち着いたという。ところがその後、今度は「聴神経腫瘍」という、これも10万人に1人という難病に侵された。良性の脳腫瘍が聴神経を圧迫し、左耳が完全失聴してしまったそうだ。 「いまも左耳は聞こえないまま、耳鳴りがしています。潮騒みたいな音だったり、ザリガニがバケツの底をガサガサ這っているような音だったり……」と、北川さん。 栄光に包まれながらも、北川さんは、プライベートでは10万人に1人の割合で発症するといわれる病に二つもかかり、病魔と闘ってきたのだ。病の苦しさが身をもってわかるからこそ、あのような主人公を描き切ることができたのだと思う。 「まったくどうして私ばかりこんな目にあうんだろうと、泣いた時間も多いです。でも愚痴ってばかりでは、本当に人生はつまらない。人生が死んでしまいます。自分の書いた作品の登場人物たちに、教えられ、励まされています」と、北川さんは言う。そして私は、その北川さんが書くドラマに、夢と元気をもらっているのだ。 「facebook」誌上で見る限り、北川さんはいきいきとしている。明るく、前向きだ。ヘアスタイルを時々変えたり、ホテルのバーで友人たちとお酒を飲んだりと、おしゃれな暮らしを楽しんでいる。テレビやラジオにも出演し、本も出版した。私もがんで腸を一部切除したから、そういう体調で人と同じようにふるまうことが、いかにたいへんかは察しがつく。でも北川さんはそんな翳りを決して見せない。立派だ。ぜひこれからも、「友達」の北川さんには、今のスタンスで活躍し、私達ファンを楽しませてほしいと願っている。 (一部「AERA」 2015年5月25日号より抜粋)