成田「緑の馬牧場」への小さな旅
2015年05月01日
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その日は、四月初旬というのに、都心では五年振りの雪、最低気温は2・4度と二月下旬並みだった。私はセータを二枚重ね着し、ホカロンを貼り、厚手のダウンコート、マフラー、手袋、ブーツという完全防寒装備で、東京駅から「JR快速エアポート成田」に乗った。一時間十七分で成田駅着。さらにタクシーで十分、やっと目的地の「緑の馬牧場」に到着した。 小雨に煙ってはいたが、牧場の各所にはソメイヨシノがピンクの花をつけ、雪柳や山吹などの春の花が咲き乱れている。広々とした牧場は白い柵だけが目につき、馬やほかの動物は厩舎にいるのだろうか、姿は見えなかった。 高校時代の同期十五名は、この天候にもかかわらず、一人の欠席もなく、それぞれの交通手段で現地に参集した。高校卒業後五十年余、同期生四百名中、すでに逝去した人も三十五名を超える。彼らを偲ぶ会も兼ねてということで、黙祷、献杯で、会は始まった。 テラスにバベキューのコンロを並べ、肉や、牧場獲れたての野菜を焼く。もちろん、お酒もソフトドリンクもたっぷり。 昔話に盛り上がる。そして偲ぶ会はそこそこに、雨の中、たけのこ掘りに出かける人、それを料理する人、厩舎に行って馬を見る人、山羊やウサギに触れる人と、思い思いに珍しい牧場体験を楽しんだ一日だった。 ところで、成田周辺は、地形が緩やかで、自然条件がよく、江戸時代から農耕馬や軍馬の放牧が行われていた。明治になって綿羊飼育も始まり、宮内省下総御料牧場も作られ、昭和に入り、競馬で活躍する馬の生産や飼育、調教などを行っていた。だが御料牧場は、成田空港建設のため栃木に移転。ここは今、競馬を引退した競走馬が、のんびりと余生を過ごす場になっていると聞く。いわば、馬の「老人ホーム」と言っていいかもしれない。 昔からの牧場敷地内には、開放的な風景と自然が残っている。現在は場内施設が解放され、観光牧場として、乗馬体験はもちろん、広場で自由に山羊や、ほかの小動物と遊ぶことができる。無農薬農園で野菜を収穫し、この日のように、バベキューや焚き火で新鮮なものを味わうこともできる。メダカ池やザリガニ池などもあり、子供達は、都会暮らしでは味わえない泥んこ遊びを、思う存分、楽しむこともできる。テレビ番組の撮影場所として、使用されたこともあるそうだ。 建築設計の仕事をしている同期生の一人が、その仕事と並行して、元の競馬馬の牧場の環境と景観を活かし、自然に親しむレクレーション施設として、この牧場の再生に取り組み、プロデュースをして四年。昨年からここで、同期有志の集まりを開くことになったのだ。 高校時代を共に過ごした私達は、バブル期のさなかで、それぞれ企業戦士として各分野で活躍してきた。彼のような建築をはじめ、商社あり、メーカーあり、宇宙開発あり、教育界あり、マスコミあり。そして、バブル崩壊後の経済危機もなんとか乗りきって来た。まるで競走馬のように。 それが全員古希を迎え、ほとんどが一線から身を引いて、第二の人生をしなやかに歩き始めている。もう誰も、昔はよく出た会社の自慢話などしない。そのかわり、今夢中になっているワイン造りや、落語、詩吟、俳句、海外旅行などに、話の輪が広がっていく。 私は、ときに競馬馬の安住の地、「緑の馬牧場」で、旧交を温め、逝ってしまった旧友達を偲ぶというのも、私達にふさわしいしゃれた集まりではないかと、思っている。