『死に支度』(瀬戸内寂聴著)に笑って泣いて
2015年04月01日
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私は昨年の十月、古希を迎えた。七十歳なんて、ずいぶんおばあさんになったものだとがっくり。六十歳直前に大病をして、そのときはすぐ死ぬかもしれないと、身辺整理までしてしまった。それから十年生き延びられたのだから、儲けものだと思うけれど、でも七十歳を過ぎたらいよいよカウントダウンかなと覚悟した。 そんな時出会ったのが、この一冊。九十二歳の瀬戸内寂聴さんのなんと明るいこと、前向きなこと。この種の本にあるような、死に支度はどこにも書かれていない。書斎は散らかり放題。車椅子になってもどんどん出かけていらっしゃる。「死に支度は生き支度」と帯にもあるように、私はこの本に、生きるパワーをいただいたような気がする。「七十歳なんて、まだまだなう」と。 九十一歳の誕生日を前にしたある朝、小説家の「私」に、京都・嵯峨野の寂庵で、事件が起きる。「先生は私達を養って下さるためにお仕事が減らせないのです。どうかお好きな革命をもう一度なさって、この際思いきって暮らし方を変えて下さい」と、五十二年間勤めた六十八歳のハンちゃんを筆頭に、家事と事務一切を任せてきた古参スタッフ四人が、涙ながらに退職を宣言したのだ。「庵主死装束」と「入院用」と紙を貼った二つのトランクまで用意して。彼女たちの思いに心打たれた私は、「春の革命」を決意する。 残されたのは一番若い二十四歳のモナ、私とは六十六歳年が離れている。面接でいきなり私に「初体験はいつ?」と訊かれ、「高校二年生です」と答えてしまう現代っ子だ。 モナのなう語に倣って、「お早うなう。昨夜は徹夜で四時に寝たから、起きないなう。食事いらないなう」「オーケーなう」「コーヒーがほしいなう」というように、目下、寂庵ではなう語が連発されている。なうは英語のNOWで、会話の最後になうをくっつけるのが今、若者の間ではやっているのだという。なう語ばかりでなく、私は、ネイルもまつ毛エクステ(マツエク)もモナから教えられる。 さらに、一年後、アカリという二十三歳のニューフェイスが、モナと机を並べることになった。二人の娘の発散するフェロモンの影響か、とにかくよく笑うせいか、私は逢う人ごとに、若がえった、前より健康そうになったと言われる。 寂聴は、五十一歳で出家したとき、一度死んだと自覚してはいるものの、いっそう創作や活動に奔走してきた。圧迫骨折が完治せぬまま、東日本大震災後は被災地行脚を重ね、東京都知事選では細川護熙候補の応援演説を行い、宝塚少女歌劇団百周年の舞台の祝典歌「虹の橋を渡りつづけて」の作詞まで引き受けている。 さらにこの本には、事実だけでなく、亡くなった人達の素描、「往生要集」の源信についてのくだりなど、寂聴の心に浮かぶことがらも記されている。文章が、折々、「私」から一転、「私」を見る人の視点に切り替わるところなども、リズム感があって楽しく読める。 『死に支度』は、その春の革命から昨年の夏までの超多忙な一年を自ら中継した、文芸誌「群像」の異色連載だ。フィクションとノンフィクションの境界線を越えた、九十二歳の心模様とも言えよう。寂聴は、この本を最後にと原稿を渡した直後、二度目の圧迫骨折、胆のう癌も発見されたが、奇跡的に復帰。「やっぱりこれを最後の小説にはしたくない、もっと書き続けたい」と、今年三月号の「文藝春秋」にエッセイを寄せている。そこからも私は、これから迎える日々への取り組み方が、しっかり見えてくるような気がした。