古希を迎えた高校の同期会
2014年11月01日
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私達、約四百名は、1963年(昭和38年)3月、都立青山高校を第十五期生として卒業した。青山高校は、都立戸山高校、新宿高校、駒場高校(当時、吉永小百合さんが在学)に次ぐ、第二ランクの都立高校だったが、その分、大学受験一本槍というより、自由の精神に貫かれ、標準服はあったものの、制服はなく、クラブ活動も盛んで、楽しく充実した三年間を過ごした。 一年生の時は、安保条約反対闘争、浅沼社会党委員長刺殺、二年生の時は、ジョン・F・ケネディが第35代米大統領に就任、三年生の時はキューバ危機などという時代で、翌年に第18回東京オリンピックを控えて、男子生徒は、競技場や宿舎の土木工事にアルバイトに行ったりしていたことを覚えている。 高校を卒業すると、大学に進学した人、専門学校に行った人、浪人した人、社会人になった人など様々で、それからは就職、結婚などと、ばらばらになり、同期会をやろうという声が上がったのは、私達が三十代に入ってからだった。 ほとんどが独身者の十二、三名が集まり、私にも、幹事長の家から近いということで、声がかかった。毎週末のように、幹事長の自宅に集まり、だんだん同期会の骨格が決まっていった。 四年ごと、オリンピックの年の十月に、高校の近くの神宮外苑の日本青年館などで開催しようということになったのである。そのメンバーのなかで、遅ればせの結婚を決めたカップルも生まれたりした。 いつ頃からか、幹事会は、毎年、定期的に夏と冬の二回、各クラスの幹事が集まって、親睦会を開き、情報を共有し、同期会は営々と開催されていった。幹事長もメンバーも変わって行ったが、スタート時からのメンバーは、私を含めて何人か残っていて、今も中核となっている。 今年、2014年は、オリンピックまでまだ二年を残しているが、私達全員そろって七十歳、「古来稀な」古希を迎える年なので、盛大に同期会を開催しようではないかということになった。会場の日本青年館は、大正4年に完成した初代が老朽化したことから、 昭和54年に竣工した二代目。それも、オリンピックの招致で、隣接した国立競技場が平成31年までに改築されるので、今年度中に取り壊されるとのこと。ここでの同期会も今回で最後ということになった。新たな施設は神宮外苑地区の南寄りに移動、テニスコートの跡地に建設される予定とか。 それならば、文化祭ののりで、今までの同期会とは違ったことをやろうということで、まず、記念文集を作ることになった。三十五名参加の、文章あり、写真あり、イラストありの充実した内容で、五十ページ余の分厚い文集が完成。国語の佐藤喜一先生の鉄道エッセイの付録までついている。 さらに会場内に、展示スペースも設けようということで、各自の油絵、版画、小説、随筆、高校時代の文集、同人誌の展示に加えて、同期が運営している牧場のサツマイモの配布、同期が参加しているインドネシアのオランウータンの保護活動のための記念Tシャツ販売まで、多彩な展開となった。 当日は、秋晴れの中、会場の日本青年館に、東京はもちろん、カナダ、インドネシアからも同期七十名余、先生一名が参集し、旧交をあたため、一次会、二次会とも大いに盛り上がったことは言うまでもない。 五十年以上も高校時代の友情が続いていることはうれしい限りだし、私も幹事の一人として、そのお手伝いができたことを幸せに思う。すでに同期でも、三十五名以上が逝去した。この同期会もいつまで続くかわからないが、各自健康に留意し、できる限り継続していきたいと願っている。