颯爽と歩く八十代の大先輩たち
2014年07月01日
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最高齢は、現在八十八歳のFさん。私の出版社時代の大先輩のご主人で、元編集者だ。昨年末、十八年の介護の末、最愛の奥様を亡くされたが、失意の底からようやく立ち上がられた。ご自身も、肺がん、腹部大動脈瘤などの大病を克服されたが、今、ヘルパーさんの手を借りながらも、立派に一人暮らしを続けていらっしゃる。 たまにご自宅に伺ってお話し相手をしたり、奥様のお墓参りにおつきあいしたりしているが、足腰は多少弱っていらっしゃるものの、ルームランナーでトレーニングを開始。 頭脳は明晰で、私の書いたものなどの感想を、お手紙に書いて送ってくださる。また新たにパソコンの勉強も始められた。ネットで自由に検索なさりたいとか。八十八歳にして、ネット世界に取り組もうという姿勢には頭が下がる思いだ。 次は今月八十三歳になられるS先生。私の高校時代の国語の教師で、三年生の時は担任だった。「文学部」という部活の顧問でもあった。従って五十年来のおつきあいになる。当時、新婚の先生から、私は日本文学の魅力を熱く教えていただいた。高校時代から小説を書き始めていた私を応援もしてくださった。大学は、早稲田を目指していた私に、奨学金のお世話もしていただいた。出版社に入社した折には、身元引受人にもなってくださった。今、私がこうして文学の世界で楽しんでいられるのも、先生の助力あったればこそと言っても、過言ではないだろう。 先生ご自身は、理系の大学へ進み、文科に転じて教師になられたので、文学と合わせて、鉄道にも詳しい鉄道エッセイストとして、活躍されている。最初の一冊『汽笛のけむり今いずこ』(新潮社)で、二〇〇〇年に交通図書賞を受賞。その後も何冊か出版された。今でも、新聞記事なども書いていらっしゃる。 だから昨年、私が短編小説を自費出版したときも、強く後押ししてくださった。現在も、私は本ができたり、書いたものが小さな賞をとったりすると、必ず先生にお送りしている。そうすると、必ずお電話かかってきたり、お手紙が届いたりして、励ましてくださる。 三年前から、先生はやむなく人工透析を受けられることとなったが、透析の合間を縫って、お元気に奥様との鉄道旅行も楽しんでいらっしゃる。 次は、現在八十二歳のTさん。私が出版社に入社して配属された先の、大先輩だ。直属の指導先輩ではなかったが、そばで何くれとなく面倒をみてくださった。先輩方に厳しく指導された時には涙は出なかったが、Tさんに「みんなこの道を通って一人前になるんだから」と、やさしく声をかけられたときは、涙がこぼれた。 忘れられないのは、「世界の家庭に学ぶ」という大型広告タイアップ企画で、ごいっしょにヨーロッパを回ったときのことだ。フランクフルトに着いて、ライン河を下り、アムステルダム、ブルージュ、パリなどを十二日間で取材するという強行軍。スポンサー十人始め関係者五名、カメラマン一人、私達二人の計十八名に、各地のガイドまで加わった大部隊だった。Tさんと私とカメラマンは、朝早くから夜遅くまで取材に飛び回った。そんななか、一度だけ、パリの有名な「カフェ・ドゥ・マゴ」で二人だけでお茶をした。本当にホッとするひとときだった。 Tさんは退社されたあと、社の文化財団の役員をしておられるが、年二、三回は、奥様と海外旅行を楽しんでいらっしゃった。なかなかお会いするチャンスがないが、年賀状はじめ、達筆のお手紙をまめにくださる。昨年、現役時代の同僚たち数名で忘年会をしたとき、お声をかけたら喜んで出席してくださった。心臓を悪くされて、最近、国内旅行に切り替えられたとのことだが、在社当時より若返られたようにお見受けした。 こういう方々の支えと励ましで、現在の私はある。感謝してもしきれないくらいだ。彼らは、今でも私の前を颯爽と歩いていらっしゃる。どうかいつまでもお元気で、長生きしていただきたいと、願うばかりだ。