軽井沢を訪ねて五十年
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初めて軽井沢を訪れたのは、小学校の林間学校。でも、その頃は何も記憶にないので、年数には入れない。だから覚えているのは、二十代になって、ドライブに行って、貸別荘に泊まったこと。夏だったが夜は寒いくらいで、窓を閉めて、友人の弾く「禁じられた遊び」のギターに胸をときめかせたこともある。 三十代は、もっぱら女友達と下手なテニス三昧。今もあるJCBのテニスコートで、作家・故森遙子、ブラッキン夫妻の華麗なプレイに見とれ、それでなくてもボールを逃してばかり。ペンションやホテルのロッジに泊まり、夜はおしゃべりに花を咲かせた。 四十代になって、ホテルを利用できるようになり、万平ホテルやプリンスホテル、音羽の森ホテルと、有名ホテルを泊まり歩いた。おいしいレストランをめぐったり、夜はコンサートに行ったりした。そこで、推理作家・内田康夫、早坂真紀夫妻にお目にかかったりもした。 そして軽井沢病がますます高じて、五十代には、軽井沢駅徒歩十分という、タイムシェアのリゾートマンションの利用権まで購入してしまった。二十年間、毎年、一週間だけ利用できるというシステムで、利用時は予約もお金もいらない。手ごろな価格の夏の終わりの週を購入し、必ず行くようにした。もう、ホテル探しや、早目の予約と言った手間は不要になった。トークショウで、直木賞作家・藤田宜永、小池真理子夫妻にお目にかかったのもその頃のことだった。 このマンションは、七十㎡くらいで、広いLDKと、寝室、和室がある。もちろん家具や電化製品付きで、テレビやCD、DVDも聴ける。キッチンはシステムキッチンで、食洗機、洗濯機がついている。トイレは二つあって、他人が泊まっても不自由ない。行けば、新しいシーツとタオルがあって、帰るときはそのままでいい。 以前は、別荘やリゾートマンション購入も検討してみた。でもひとり暮らしだから、使わないときのメンテナンスなど考えれば、こういうシステムは、私にはなかなか理にかなっていると思った。 六十歳で定年退職になってからは、この夏の終わりの軽井沢は、何よりも楽しみになった、新幹線で、わずか七十分。電車を降りれば、すがすがしい空気と、透明な光が待っている。バルコニーで、お茶や朝食をしたり、CDを聴きながら、読書するのもいい。文士の旧居を訪ねて、俳句を作ったりもしている。 しかし、次々軽井沢ならではのおいしいレストランや、新しい美術館などができるので、楽しみはつきない。いっぱしの軽井沢通になった。軽井沢を起点にすれば、追分や小諸、上田、別所温泉などへも日帰りで楽々足を延ばせる。お招きすれば、家族や、友人たちも、喜んで来てくれる。そこでまた楽しい交流が生まれる。 二十年なんてまだまだ先だと思っていたが、このリゾートマンションも、残すこと数年になってしまった。そのあとどうするか、いつまで健康でいられるか、それがこのところの切実な悩みである。